浦上地区 長崎市の北部の地域で、 17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として 現代には原子爆弾の被害を受けた中心地として知られている。 歴史上、初めて浦上という名前が出現したのは15世紀。16世紀には全村がキリシタンと言われていた。17世紀に入り、キリスト教の禁教令が出たのちも、約250年間にわたって、信仰を守り通した。
浦上地区 長崎市の北部の地域で、 17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として 現代には原子爆弾の被害を受けた中心地として知られている。 歴史上、初めて浦上という名前が出現したのは15世紀。16世紀には全村がキリシタンと言われていた。17世紀に入り、キリスト教の禁教令が出たのちも、約250年間にわたって、信仰を守り通した。
明治政府が禁教を解いた後もカトリックに復帰せず、先祖らが築いた信仰形態を継承する「かくれキリシタン」。2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたことで注目を集めるが、高齢化や後継者不足で信者は減っている。長崎市北西部の黒崎地区で、約20世帯約40人のかくれキリシタン信者にとって、唯一の信仰指導者「帳方(ちょうかた)」を務める村上茂則さん(73)に、現状や今後の展望を聞いた。(甲斐也智) 【写真】海に面した長崎の集落、十字架が立ち並ぶ
Published 2022/09/22 12:00 (JST) Updated 2022/09/22 12:16 (JST) ロング崎は異国情緒豊かで、出島があったり、グラバー園があったりして、非常に好きな街です。欠点がないですね。港町っていう感じで、僕が好きな横浜と似通った部分があって、チャイナタウンとかも嫌いじゃないし。観光地としてすごくいい。父方の祖父が島原出身なので「第2のカントリー」と言うとおかしいかもしれないけど、ルーのルーツです。 そこに、ニュー幹線が武雄スパ、嬉野スパ、ニュービッグ村、諫アーリーを通って来ることで、お客さんがいっぱい増えると思う。ロング崎はベリーフェイマス、つまり有名なんだけど、武雄スパや嬉野スパのことは僕は知らなかったんだよね。そういうところも、観光客が増えるんじゃないかな。 テレビ番組で諫アーリーやビッグ村にも何回か行ったんだけど、すごくビューがきれい
日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は長崎県平戸市の平戸城です。12年余りをかけて造ったにもかかわらず、完成後まもなく藩主が自ら火をつけて焼き払ったという、驚くべき歴史を持つ城です。それは……。 平戸城は、平戸島の北部と九州本土を隔てる平戸瀬戸に突き出す標高約53メートルの丘陵上にある。平戸大橋をはじめ、穏やかな平戸瀬戸を一望できる景観のよさが魅力だ。 1550(天文19)年、平戸はポルトガル船の来航を機にいち早く開港。1641(寛永18)年にオランダ商館が閉鎖し長崎出島に移転するまで、我が国の交易の窓口として機能した。港湾を見下ろせ、行き交う貿易船を監視するのにふさわしい立地が最大の特徴といえる。 南竜崎台場から遠望する平戸城交易と武器輸入で力をつけた平戸松浦氏 この地を治めた
16世紀の「天正遣欧少年使節」の一人、千々石ミゲルの墓とみられる場所で発掘調査を行っている民間のプロジェクトチームは16日、発掘されたミゲルとみられる人骨を報道陣に公開しました。 発掘されたのは頭や腕、肋骨や足など成人1体の骨です。長さ140センチ、幅40センチの木棺の中で、横を向くような形で足を折り曲げて葬られています。 千々石ミゲルは安土桃山時代、九州のキリシタン大名がローマに派遣した天正遣欧少年使節団の4人のうちの1人です。諫早市多良見町では石碑に千々石ミゲルとその妻とみられる戒名などが刻まれていたことから、ミゲルの子孫らがミゲルの墓とみて2014年から発掘調査を進めてきました。 これまで地中からはミゲルの妻とみられる女性の歯や骨、ガラス片やロザリオの部品などが出土していて、今回の調査では隣接する箇所からミゲルとみられる人骨の一部が発見されました。こちらの墓から副葬品は見つかっていま
1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。 前の記事:世界一のカスタムナイフ作家から学ぶ「ナイフ入門」 > 個人サイト ヤマモトチヒロのブログ 当時82歳だった著者の350ページの自費出版本400冊が完売 平成29年に発行された、山口日都志さんの著書「女性哀史 佐世保遊里考」(芸文堂)。副題にもあるように、懸命に生きた女性たちの記録だ。 明治22年。人口3,700人あまりだった一寒村に鎮守府(海軍の拠点)が設置され、広島の呉や神奈川の横須賀と同じく軍港としてめきめきと発展してきた佐世保。新天地求めて近隣から多くの人々がすみ着き、5年後には人口が2倍近くまで膨れ上がった。 そんなゴールドラッシュさながらな発展の裏には、遊郭を舞台に生計を立ててきた女性たちがいた。
浦上地区 長崎市の北部の地域で、 17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として 現代には原子爆弾の被害を受けた中心地として知られている。 歴史上、初めて浦上という名前が出現したのは15世紀。16世紀には全村がキリシタンと言われていた。17世紀に入り、キリスト教の禁教令が出たのちも、約250年間にわたって、信仰を守り通した。
Published 2020/04/18 17:43 (JST) Updated 2023/10/11 09:34 (JST) 海で釣りをしているとき、獣に襲われる危険性を想定する人は、はたしてどれほどいるだろうか。2月下旬。長崎市内の男性は、同市小江町の岩場でイカ釣りをしている最中に突然、イノシシに襲われ、〝返り討ち〟にした。「命を守るために無我夢中。アウェー同士の闘いだった」。体に負った傷が癒えてきた男性に再び現場を訪ねてもらい、約10分間の死闘を振り返ってもらった。 「自分も足場が悪いアウェー(本拠地ではない意味)で、イノシシも舞台が海ということでアウェー。つまりアウェー同士の闘いだった。自分は何度か釣りに来ていた場所だった分、足場にも慣れていてこちらに勝機があったと思う。ここで死にたくないという気持ちだけだった」 ●突進で飛ばされ 2月24日午後4時ごろ。同市内で個人タクシーを営む
──本対談では建築と彫刻の交点から「記念性」を考えます。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかさんは、今年6月に上梓された『彫刻 1』(トポフィル、2018)をはじめ、作品制作や執筆、出版活動を通して彫刻の議論を展開されています。また建築史家の戸田穣さんは2017年に『建築雑誌』で「建築は記念する」という特集を企画されました。今日は、建築・彫刻の分野における記念性について、きわめて今日的な問題提起を行なっているお二人にお話しいただきます。 戸田穣──このところモニュメントやメモリアルに関心を持っています。最近は特に20世紀後半の日本における世俗の慰霊空間について調べていて、2016年には『10+1 Website』に「千鳥ヶ淵から考える慰霊の空間」という文章を寄稿して、谷口吉郎の設計による《国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑》(1958)や海外につくられた慰霊碑について紹介しました。また、日本建築学会が
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