そもそもあらゆる造形活動は、見えないものに形を与え、それらを残すためにあったのだと言えるでしょう。ルネサンス時代の理論家アルベルティが、「或る人々は、絵画というものは人々に礼拝された神々を表したものだと考えている。確かに絵画は死すべきものである人間にとっては、最も大きな賜物であった。つまり、われわれと神々とを結びつけ、またわれわれの魂を宗教心で満たしてくれるあの敬虔な気持を保つのに、絵画が大いに役立っているのである。」と述べたように、私たち人間は、洋の東西を問わず、本来姿形をもたない神や仏を、象徴的な事物に置き換えたり、動植物の姿に仮託したり、あるいは具体的な「人形(ひとがた)」に表すことによって、祈りを捧げてきました。また同じく中世・ルネサンス以来、数多く描かれてきた肖像画も-いまでは写真がその役割を担っているとも言えますが-、すでに死んでしまった人間に、また死すべき運命にある人間に、半
![開催中の展覧会「そこに在るということ-歴史・美術にみる存在の印-仮託する・典型化する・写し取る・痕を残す・痕を消す」 | 岡崎市美術博物館ホームページ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/93ef57ff873d8dac6e645cf83111ec2ff3a74371/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.city.okazaki.aichi.jp%2Fmuseum%2Fexhibition%2Fopenexhibition%2Fp018034_d%2Fimg%2F021.png)