第二次世界大戦に際して、日本政府は寒天の輸出を禁じるという奇妙な措置を講じている。この背景には、19世紀末に細菌学者のコッホが(彼の助手であるワルター・ヘッセの妻ファニーのアイデアで)細菌培養に寒天を使用して以降、世界中の研究所で寒天の需要が激増したという事実があった。寒天は日本特有の輸出品であることから、これを禁止することは他国の細菌兵器研究を遅延させるうえできわめて重要な意味をもつ。ただその結果、日本の漁村には大量の天草(寒天の原料)が余ることとなった。この余剰寒天を大胆にも特撮映画に採用したのが円谷英二である。1942年の映画『ハワイ・マレー沖海戦』(監督=山本嘉次郎)においても、一部の海面のシーンに寒天が使われているという。ミニチュアの軍艦を水に浮かべての撮影では波や水しぶきの不自然さが際立ってしまうという弱点を、寒天は見事に解決してくれている。寒天は人々によって食べられ、細菌培養