2024年4月13日のブックマーク (1件)

  • 「心地よい失敗経験」によって諦観へと近づくことの推奨 - 忘れん坊の外部記憶域

    私の口癖の一つに「仕方がない」があります。 この「仕方がない」が含意する諦観について、少し述べていきましょう。 「諦め」と「諦観」の違い 諦観とは「諦め」とは異なる概念です。 諦めは望みが実現できないことへの絶望や断念といったネガティブな感情を伴う行動であるのに対して、諦観は物事の質を見て取ることを意味します。 例えとして、出先で急に予定外の雨が降ったことを考えてみましょう。 その際の諦めとは、たとえやむを得ないとしても服が濡れることへの嫌悪や予定通りに物事が進まないことへの怒りのように負の感情を伴って現れます。 対して諦観は、雨が降ることはただの自然現象だと悟ることです。そこにはネガティブやポジティブに属する感情の動作は存在しません。ただそうであるから、そう受け取る、それだけです。 すなわち「諦め」が悔恨や後悔、残念に類する概念であるのに対して「諦観」は感情のトリガーを伴わない自然体で

    「心地よい失敗経験」によって諦観へと近づくことの推奨 - 忘れん坊の外部記憶域
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/04/13
    “「仕方がない」と口にする時には、物事を残念に思ったり悔やんだりする気持ちはありません。仕方(手段)が無いのだからそれは仕方がないことだと、現状を自然体で受け入れた結果として使っています。”