墓に入るはずだった豪族は、どうなったのか? 「湊茶臼山(みなとちゃうすやま)古墳」(岡山市中区)の中心部には誰も埋葬された形跡がないことが、市教育委員会の発掘調査でわかった。せっかくの古墳が、墓として使われなかった可能性が高いという。 古墳は、全長約130メートルの大型の前方後円墳。市中心部と西大寺方面の間の操山丘陵にあり、5世紀前後に作られたとされる。 円形をした丘陵部の中央を掘り下げたところ、直径3メートル、深さ3.5メートルの円柱状の盗掘跡を発見。だが、古墳の主を埋葬するために使ったはずの、棺や石室の跡がまったく見あたらなかった。 この時期の古墳では、もっと深い位置に埋葬することは考えにくく、古墳の主は埋葬されずじまいだった可能性が高いという。数メートル外側には木棺があった形跡が見つかったが、親族や家臣など「脇役」のものらしい。 市教委によると、この規模の大型古墳で「主役」の埋葬跡が