今川 貞世(いまがわ さだよ)は、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、守護大名。室町幕府の九州探題、遠江、駿河半国守護。九州探題赴任中は備後、安芸、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の守護も兼ねた。歌人としても名高い。法名は了俊(りょうしゅん)で、今川了俊と呼ばれることも多い。没年は異説あり。『難太平記』の著者である。 生涯[編集] 畿内での活動[編集] 幼少時は不明だが、父に従っていた記録は残り、12、13歳頃から和歌を学ぶ。足利将軍家内部の対立から室町幕府初代将軍足利尊氏と弟の足利直義の両派の抗争へ発展した観応の擾乱においては、父と共に将軍側に属する。直義派や南朝勢力と戦い、正平10年/文和4年(1355年)には細川清氏と共に東寺合戦で戦う(『難太平記』)。 室町幕府執事となった清氏が正平16年/延文6年(1361年)に失脚して南朝に下ると、父の命で講和呼びかけの為に遠