2007年10月19日のブックマーク (1件)

  • 小説は小説家にしかわからない - 萩の塵拾い

    日の東京新聞の大波小波にめちゃおもしろいことが書かれていた。 まとめ引用すると、保坂和志と高橋源一郎が去年の「文藝」冬号(古っ!)で、「小説小説家にしかわからない、評論家はもういらない」と発言したのに対し、笙野頼子が「評論家でもちゃんと西洋哲学を理解している評論家ならいい読みはいくらもできる」(爆笑!)と反論し、さらに文藝評論家の田中和生が「そもそもポストモダンの教訓とは、読むことが書くことと同義であることにあったのではないか」と疑義を呈しているという。で、大波小波の書き手は、保坂や高橋は、評論家から長篇が評論の対象にされない憤だろう、と言い、評論家が書き下ろし評論の一冊も上梓すれば、前言撤回間違いなし、と皮肉を言う。さらに、書き手は、「三島由紀夫や中上健次がかかる傲慢な言辞を吐かなかったのは、評論家に相手にされているという確信を抱いていたから」と言い、続けて、高橋や保坂の作品が評論

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