ずっと運用し続けるシステムはこういう考え方は重要。でも受託開発だと、納品すれば、動きさえすれば、終わりになるんだよね。しかも技術的負債もその後の保守、追加開発の飯のタネにすらなりかねないから難しい。
ずっと運用し続けるシステムはこういう考え方は重要。でも受託開発だと、納品すれば、動きさえすれば、終わりになるんだよね。しかも技術的負債もその後の保守、追加開発の飯のタネにすらなりかねないから難しい。
中堅SIerを経て2009年にドワンゴに中途入社。複数のシステムの開発に携わった後、エンジニアの生産性を高めることをミッションとする部署の立ちあげに参加する。趣味はプログラミングとネトゲ。 ドワンゴ清水俊博氏にドワンゴのエンジニア文化について聞いた。2012年4月の第1回「ニコニコ超会議」の後、ドワンゴのエンジニアが大量退職するという危機的な時期があった。エンジニア文化を立て直す社内組織に参加した経緯を聞く。 ──転職のきっかけはコミュニティ活動とのことですが、当時参加していたコミュニティjava-jaの雰囲気をお聞かせください。 java-jaでは、スキルがある人たち、技術力がある人たちに囲まれていました。ヨシオリ(java-jaを立ち上げた庄司嘉織氏、清水氏の元同僚)も当時はSI業界にいて、互いに話をして共感しあい、友人になりました。 java-jaは、ヨシオリが「勉強会」という呼び名
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