ブックマーク / orion12.hatenablog.com (316)

  • 健康と不健康と「穢れを極端に嫌うココロ」 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。 分かりやすい例で言えば呼吸です。 吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。 でも、呼吸というのはそこら辺にある空気をざっくり吸い込むことしか出来ません。 身体に良い成分のみを前もって選別して吸い込むなんて芸当は出来ないのです。 呼吸に限らずエネルギーの出し入れというのは全てそういう仕組みになっています。 まとめて全部取り込んでから必要なものだけ吸収して不要なものは排泄してしまうという構造です。 どんな人であれエネルギー源として様々なモノをまとめて自分の中に取り込むという作業をずっと続けています。 生まれてから死ぬまで絶えることなくね。 まとめて全部取り込む方式ですから取り込む際にその場その場で事前に分別することは出来ません。 取り込むか取り込まないか自体を決めることは可能ですがね。 であるなら当然純度100%の

    健康と不健康と「穢れを極端に嫌うココロ」 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心を緩めることで『生きること』のハードルを下げてみる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。 「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと… 明石家さんまじゃないけれど、今こそ「生きてるだけで丸儲け」くらいの感覚に戻したらいいんじゃないかなと思うのです。 生きるということのハードルを出来るだけ下げて能天気なくらいにならないとこれからの時代乗り切れないかも知れませんので。 「明るく・軽く・バカバカしく」の三点セットを大切にしたいと思う今日この頃です。 苦しい時こそ眉間にシワを寄せるより目尻にシワを寄

    心を緩めることで『生きること』のハードルを下げてみる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 想像力を失うと「周りが見えてない状態」になります - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。 「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は幾ら博識であっても『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。 で、「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は往々にして先入観と思い込みで物事を判断しようとします。 それは想像力が乏しいせいで、様々な角度や色んなパターンでの思考が出来ないからです。 このブ

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  • 持って生まれた第六感と信仰絡みの所謂『霊能力』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 一般的には勘とか呼ばれるモノです。 個人的には勘は他の五感と並列的に在るものだと思っています。 特別な人間に与えられた特殊なチカラではなくね。 ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。 それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。 第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。 しかし、その100%全てがなくなるということは死ぬまでないのです。 っていうかそれが完全に無くなるってのが「亡くなること」ですからね。 もう一つは『物の怪』など目に見えない存在から何かの拍子に後天的に与えられた超自然的なチ

    持って生まれた第六感と信仰絡みの所謂『霊能力』 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 写真には色々と写るから残酷です (パワーストーン篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以下2017年3月の記事。 無生物というのは人間のように魂がないので中身がみっちり詰まってません。 その分使っている人の想念エネルギーの影響を受けやすいのです。 まぁ、生きてる人のエネルギーだけではなく、亡くなったヒトや物の怪など色んな波動エネルギーが入りやすいです。 入りやすいということはそれだけ影響も受け

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  • 損得勘定と波動のレベル - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前「自分にとって良いことばかり引き寄せられる所謂引き寄せの法則はないということ」を書いたことがあります。 でも、別の意味の引き寄せの法則はあると思っています。 それは人は意識を向けたモノを引き寄せるということです。 意識を向ければ向けるほどそのモノを引き寄せるのです。 じゃあ、所謂引き寄せの法則と同じじゃないかと思われるかも知れません。 でもね、何でもかんでも引き寄せられるわけじゃないのです。 何故なら意識を向けるといっても人間は自分のレベルでしか意識を向けられないからです。 結局その時の自分の波動のレベルに見合ったモノしか引き寄せられないのです。 以上のようなことを以前に書いたことがあります。 でここからが題なんですが、「果たして日常的に損得勘定を繰り返していくとお得な人生を送れるのか?」ってことについてです。 「自分だけが得したいというスケベ心」ってのは誰にだってあるものです。 だ

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  • 陰謀論的モノの見方と流行り病 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「何かを観察する場合、幾ら物っぽく感じたとしてもとりあえず眉に唾付けて3割引くらいで捉えておいたほうが無難である」てな話を述べたことがあります。 この『3割引』の視点というのは物事を俯瞰的に見るためには随分役に立ちます。 特に物事をすぐに信じやすいタイプの人は、一呼吸置くために「これって当かなぁ?」って考えるクセをつけた方がいいのではないでしょうか? 「スゴい! スゴい!」ってのめり込む前にね! この世界では「白黒ハッキリした所謂『正解』が何時も何処かに用意されている」なんてことは無いのです。 大抵は薄ぼんやりとした当に合ってるか合ってないかも分からない『答え』がそこにあるだけです。 『答え』といってもそれを個々人が答えとして認識しているだけですがね… で、人間は誰しもそんなボンヤリとした曖昧さの中を手さぐり足さぐりしながら一歩一歩進んでいくしかないわけです。 元からそういうものなの

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  • 心のショックアブソーバーと鈍感になるココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間は精神的に強くダメージを与えるものが現れると半ば無意識にそれを小分けにして心の奥に仕舞おうとします。 顕在意識からの記憶を薄めることで出来るだけダメージを分散してショックに耐えようとするのです。 例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょう… そのため分割して隠してしまうのです。 隠してしまうとは自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにするという意味です。 心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。 何らかの体感を伴ってね… 人間の心にはそういう自動車でいうところのショックアブソーバーみたいな機能が元々備わっているのだと思います。 一定以上負荷が掛かるとそれを分割分散してダメージを和らげようとする機能がです。

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  • 『ノスタルジー濃度』という人を見るモノサシ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね… そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。 儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思っています。 最初のボタンから掛け違えてると強く感じるのです。 昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。 「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、よくある考え方なのでしょう。 私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメに

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  • 除霊という『修羅の道』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。 いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。 眼に見えないチカラの話ですがね… よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。 そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。 そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。 常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。 返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴びるかも知れないです。 そういうことを長く続ければ続けるほど所謂『返り血』を一滴も浴びない可能性は限りなくゼロに近付いていくでしょう。 そこにあるのは『斬った張った』の殺伐としたココロの世

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  • 人間の世界の外側にいるとても大きな眼に見えない存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    一人の人間に見えてる世界なんて当に小さなモノです。 ていうか人類という種の見ている世界ってのは人間が思ってるほど大きくはありません。 人間基準では大きいかも知れませんが、それはあくまで人間基準です。 人間を超越したもっと大きな世界の『モノの道理』が、人間のいうところの『世界の動き』といつでもどこでも一致しているとは限らないのです。 仮に蟻が人間並みの知能があったとしたら、蟻の見ている世界のスケールはせいぜい自分の住んでいる蟻の巣周辺くらいでしょう。 人間の単位でいう隣りの町内くらいでもそれを自分たちの世界として認識することは困難であると思われます。 で、例えばそこへ人間の子どもが来て、ジョウロで蟻の巣の入り口に水を撒いたら蟻の巣は大惨事になります。 そうしたら、頭のいい蟻の個体はそれを「これは世界の終わりの始まりの大洪水だ! カミサマの与えた試練だ!」とか言いだすかも知れません。 この蟻

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  • 想像力の欠如と心の視野の狭さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 先ほども申し上げたように想像力とは一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 その働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 他人のものはもちろんそのうち自分自身の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。 その意味で鈍感さとは人間らしさを失う第一歩です。 最近つくづく感じるのが以上に述べた想像力と鈍感さのことです。

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  • 「正しい!」の比べっこの果てには不毛の荒野が待っている - 『クリアー整体ヒーリング』です

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少します。 単純に考えてみてください。 「自分が正しい! 自分が正しい!」と何時も考え続けているような人が他人に対して寛容でいられるかどうかを。 『正しいの比べっこ』が先鋭化すればそのうち必ず所謂『魔女

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  • 所謂『魔境』と霊能力 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。 簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 しかも、人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 魔境に入った人というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感に支配された状態のことです。 「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。 高揚感に支配されると浮き足立ちます。 浮き足立つと現実的な感覚を失って突拍子も無いことでも簡単に信じるようになるのです。 そんな魔境の入り口としてよ

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  • 所謂『御利益』と祟りはウラとオモテ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年1月の記事 今の世の中では少なからぬ人々が人外のモノのチカラに頼っています。 そういうモノにたよることに恐れも畏れも乏しい感じです。 眼に見えない世界のチカラを借りて願望を実現しようとすることに違和感を感じない人が多いってことなのかも知れません。 違和感どころか良いこと尽くめだと思ってるんじゃないか

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  • 所謂一つの『単純明快さ』に魅入られるということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。 『インスタント』大好きと申しますか… ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。 単純明快さが第一なんですよね。 料理で言ったら「じっくりコトコト煮込む」みたいな作業は大嫌いなのです。 ていうかそういう作業は不必要だとさえ思ってるのかも知れません… 『インスタント』なやり方には一つの大きな欠点があります。

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  • お知らせ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2018年2月11日料金改定 クリアー整体ヒーリングはザックリ言えば所謂エネルギー療法というものなのでしょう。 でも、気とか何かのパワーみたいモノを入力することで治療するものではないのです。 問題のある箇所を浄化して元のニュートラルな状態に近付けてゆくということをしています。 出力というかデトックスといいますか浄化することで状態をよりクリアーにするのです。 クリアーとは感覚的にいえばフワッと軽くてスカッと明るいことです。 スッキリと透き通っていて穏やか~な感じです。 現在出張及び遠隔でのヒーリングを行っております。 関連記事 クリアー整体ヒーリングのやり方について 出張ヒーリング 約60分 6,000円 (市内は主張費込み。それ以遠の出張費はその都度ご相談とさせていただきます) 遠隔ヒーリング 約60分 6,000円 ( Skype通話でのヒーリングも可能になりました) 延長料金について

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  • 所謂『憑かれた人』にありがちな二つの特徴 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    『憑かれる』といっても普通オカルト映画か何かみたいに異常でド派手な変異が目の前で分かりやすく起こるなんてことはそうそうありません。 所謂『超常現象』的なことがもし起こったとしても気のせいに出来る程度のことが多いでしょう。 どちらにしろ憑かれるって現象は最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸されていくカタチで進行します。 水の中にぽたぽたと墨汁を垂らしていくようにね… 透明な水の色は墨汁の闇の色に少しずつ少しずつ染まっていきます。 浸された部分は自分では無いモノに差し替えられていくのです。 差し替えられた部分は元からある部分と比べてもよくよく観察しないと違いが分かりません。 よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いが分からないくらいの速度で憑依するモノの色に染まっていきます。 差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見えるようになります。 元々持っていた

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  • この世には「為せば成ること」と「為しても成らないこと」があるのです - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。 「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』とでも申し上げておきます。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪い

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  • 無知の知と「眼に見えないモノをナメる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。 日々発見と言っても過言ではないでしょう。 いわば不可思議の連続です。 全てが分かるようになることなど一生ないと思います。 眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 発見がそこら中に転がっている世界です。 アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですよね。 多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。 我々のいるのはそういう世界だってことです。 そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる」ってことです。 要は人間の中身は無知で出来ているってことです。 もし眼に見えないモノと対峙することになった時に自らの無知を認識出来てなければ危険な局面を迎える可能性はそれだけ高まります。 知ってるつもりになればなるほどアチラさんのマヤ

    無知の知と「眼に見えないモノをナメる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です