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  • 城ぶら「高島城」!かつて諏訪湖に浮かぶ城に思いを馳せて

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、信濃国諏訪にある名城、高島城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 高島城は、長野県諏訪市にある平城です。 「続日100名城」に認定されている石垣の美しい名城。諏訪市指定史跡になっています。 この高島城を築城したのは、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉です。 1590年、豊臣秀吉が北条氏を攻略すると、それまで諏訪を治めていた諏訪頼忠を移封して、北条攻めに功のあった高吉に当地を与えます。 高吉は、諏訪の地に入ると、諏訪湖に突き出た島(高島)に新たに城を築くことを決めます。 1592年に普請を始め、1598年に完成したと言われています。当時は、波が石垣に打ち寄せ、諏訪湖に浮かぶように見えたので

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  • 城ぶら「大多喜城」!徳川四天王・本多忠勝ゆかりの千葉の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、徳川四天王・多忠勝ゆかりの千葉の名城、大多喜城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 徳川四天王の一人、多忠勝ゆかりの大多喜城。 その築城は1521年、上総国の戦国大名・真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされます。 その後、上総国をめぐる里見氏との抗争の舞台となり、城主を変えながら戦国時代末期をむかえます。 そして1590年、里見氏に替わって同地の支配権を得たのが徳川家康でした。家康は腹心の勇将・多忠勝を城主に任じます。 忠勝は上総に入ると、里見氏への備えとして、大多喜城を近世城郭に大改築。 ふもとに城下町を整備するなど、いまの大多喜の街の基盤をつくりました。 そ

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  • いざ城ぶら「二条城」!徳川の栄枯盛衰を見つめた世界遺産の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、世界遺産に登録されている、京の都の荘厳な城、二条城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 京都の名城「二条城」。その名が歴史に刻まれるのは、戦国時代の終わりからです。 織田信長が足利義昭を擁して上洛。義昭が室町15代将軍となるのを援けると、その義昭のために、京都に二条城を築きました。 なお、織田信長が築いた二条城は、現在の二条城とは別の場所(北東)にありました。 この二条城は、現在の二条城と区別するために「旧二条城」と呼ばれています。 しかし、やがて両者は袂を分かちます。義昭は信長を討つために挙兵しますが敗退。 旧二条城は破却・解体され、その材木などは安土城に転用されたと伝えられます

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  • 城ぶら「亀山城」!ときは今…明智光秀、決意の亀山城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、明智光秀が築いた京都亀岡の城、亀山城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 亀山城は、織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀が、その拠点として1578年に築城しました。 創建当初は3重天守であったと言われています。 1582年、信長から光秀に、毛利軍と戦う羽柴秀吉の援軍として中国出陣の命令が下ります。 同年6月、ここ亀山城を出発した光秀は、突如進路を変えて京都市中にある能寺を襲撃。主君である信長を討ちました(能寺の変)。 しかし、その光秀も、中国大返しにより京都に駆け付けた秀吉との戦いに敗れ、逃走中に討ち死。 その後、亀山城は、秀吉の重要拠点として羽柴秀勝、豊臣秀俊(小早川秀秋)

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  • 城ぶら「上田城」!徳川軍を2度も撃退した真田の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、歴史ファンならずとも一度は行きたい人気の城、真田家ゆかりの名城、上田城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 上田城と言えば、真田昌幸が徳川軍を二度にわたって撃退した、難攻不落の城として知られています。 築城は1583年。当時、徳川家康に与していた昌幸は、北の上杉への防衛拠点として、ここ上田の地に着目します。 家康に築城を進言すると、その提言は受け入れられ、昌幸は築城を任されました。 だから、上田城は、徳川方の資金を得て築城が進められたんですね。 この後、昌幸は家康を裏切り、二度にわたって徳川軍を撃退するんだから、なんとも皮肉というか、老練というか…。 最初の戦い、第1次上田合戦がぼ

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  • 城ぶら「小諸城」!センゴクの夢の跡、懐古園をぶら歩き

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、日100名城の一つ、現在は懐古園として公開されている、小諸城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 日100名城の一つ、小諸城。 小諸城は、その城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」。日で唯一といわれています。 その起源は、平安時代末期。 「平家物語」にも登場する木曽義仲の武将・小室太郎光兼(小諸太郎と表記されることも)が当地に館を構えたのがはじまりです。 戦国時代になると、武田信玄の命によって山勘助らが縄張りして築城。小諸城の原型ができたとされています。 武田氏が滅びると、織田信長の将・滝川一益の領地となりますが、その信長も命を落とすと、北条、徳川、上杉、

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  • 城ぶら「小田原城」!戦国の命運を握った難攻不落の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、日100名城にも登録されている関東を代表する名城、小田原城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 東海道の要衝を守った、難攻不落の堅城、小田原城。 その築城は15世紀中ごろ、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏によるものと言われています。 ただその城が日の表舞台に表れるのは、戦国の風雲児・北条早雲がこの城を攻略してから。 明応4年(1495年)、北条早雲はときの城主・大森藤頼を急襲し、小田原城を奪取。この後、北条5代約100年に続く繁栄の基礎を築きました。 小田原城を居城とした北条氏は、ここから関東一円に勢力を拡大していきます。 しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小

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