寛容は不寛容に対して不寛容になるべきか。 自分と異なる多様な価値感を認め、ひとりひとりの違いを包み込む「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」という言葉をよく目にするようになった。これからの社会でますます重要になる考え方である。金子みすゞの言葉を借りれば「みんな違って、みんないい」。しかし他者に対して「寛容」であることは実は言うほど簡単なことではない。まず、寛容は無関心とは違う。寛容であるためには、同じ人間同士でも世界の捉え方(環世界)は千差万別であることを知り、自分の正しさの限界や自分とは違う正しさがあるかもしれない可能性に想像力を働かせることが必要なのである。 一方で、どこまでも寛容であろうとすると、どこかで冒頭のような矛盾した問いに行き当たってしまう。不寛容を寛容すれば、不寛容が蔓延するのを防ぐことができないし、かといって不寛容を寛容しないと、それはもはや自らが不寛容であることになって