インターネットの時代の 問題点の一つとして最近考えているのが 「スケーラビリティ」の問題である。 友人というものには、適切なサイズが あるのだと思う。 一人ひとりと、「その人ならでは」 という形で向き合わないと、人間の コミュニケーションが持っている本来の 豊饒に出会えない。 私が「ソーシャル・ネットワーク・サービス」 (SNS)に懐疑的なのは、この スケーラビリティの問題をクリアして いないと考えるからである。 生命の愛おしさは、「今、ここ」 という限定から逃れられないという ことの中にこそある。 もし、「今、ここ」の自分の精神と身体が、 世界に散らばった何億もの可能態の 一つでしかないとしたら、一つひとつの アップダウンなど、それほどの関心事で はなくなってしまうであろう。 神にとっては、この世の生きとし 生けるものは、チェスの駒に過ぎないかも しれないが、 私たちが救われるのは、 た