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2020年7月16日のブックマーク (4件)

  • ヘンな歌詞の歌

    好きなアルゼンチンのバンドの歌、たぶんゾンビクライシスを描いていて、「僕はいまライフルをもって家の屋根の上にいる」を連呼するのがサビで最後には「さあ、次の動き(movimiento=move)をやるぞ」つって終わるんだけど、なんか良いんだよなあ 歌い出しにある「でっかい月(luna gigante)の下」ってのもいい ひとことで舞台が月夜になってて素敵 木の下で木の上で木の裏で叫ぶ「奴ら」を相手にライフル一で次にやることがなんなのかわからないのもいい 挑むのかもしれないし自殺するのかもしれない 曲調は明るいから前者っぽいけど、後者もシブい 「怖かったけどもう吹っ切れた」って歌詞もどっちの解釈にも通じて素敵 恋愛どころか人間関係すら描いてない歌は最高 アルゼンチンバンド良くて、「山からやつらが降りてくる、春の祝祭で痛めた背中で(con su espalda rota en los fest

    ヘンな歌詞の歌
    kazutox
    kazutox 2020/07/16
    子供のとき、NHKみんなのうたの小椋佳「さらば青春」は「意味が分からなくてすごい」と思っていた
  • 副鼻腔のイラスト

  • Major US Twitter accounts hacked in Bitcoin scam

  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ