(3:26:40 ~ ) マスメディアで啓蒙できたと思っているときは幻想である 何百万人に届くものとは、人々がそもそも想定していたものだけが届くのであって、そこで何かやろうとして人々がもともと期待したものしか受け取らないから(マスメディアによって)「変える」ってことは本質的にできないのではないか。だからもっと原点にもどって何百人、何十人から始めて、積み上げていくしかないのではないかなと最近は思っている。 (東浩紀) vimeo.com
で話題になっているが、そもそもリベラリズムの定義から再考すべきではないだろうか。 追記:下の記事でより日本における一般的なリベラル・リベラリズムの定義が述べられているのでそれを読んだ後に読むと良い。リベラルの定義はアメリカ、ヨーロッパ、日本でそれぞれ微妙に異なるので極めてめんどくさいのだ。「第二の類型」に属するバカリベラルの象徴SEALDsがにわかに持ち上げられたせいで、下の記事にある「第一の類型に属するリベラル」の力が相対的に弱くなった。というか、アホな「第二の類型」に属するリベラルのせいで、「第一の類型」に属するリベラルまで頭が悪いわからずやの夢想家みたいにひとくくりでみなされて、リベラル全体が見放されつつある。SEALDsは社会にほとんど政治的影響力をもたらさなかったのは、先の選挙で明らかとなったが*1 リベラリズムに対して大きな負のイメージを与えたという意味でSEALDsの影響は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く