ネット社会となるほどに関するkd_tsuguのブックマーク (2)

  • 第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 | WIRED VISION

    第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 2007年8月16日 ITメディア コメント: トラックバック (1) ■12-1. 「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 前回・前々回を通じて、セカンドライフとニコニコ動画の比較分析を行ってきました。その分析結果とは、ひとことでいえば、セカンドライフは真性同期型アーキテクチャゆえに「閑散としている」ように見えやすい傾向にあり、その一方で、ニコニコ動画は擬似同期型アーキテクチャゆえに「活況を呈している」ように見えやすい、というものでした。おそらく2007年前半の(日における)ソーシャルメディアの光景は、「セカンドライフは閑散としている一方で、ニコニコ動画は活況を呈している」と記憶されることと思われますが、それは単に「セカンドライフはつまらない/ニコニコ動画は面白い(つまらないものを面白くでき

    kd_tsugu
    kd_tsugu 2007/08/17
    芸術作品(コンテンツ)が複製可能なのではなく、それを「いま・ここ」で体験するという《経験の条件》が複製可能であるということは、「複製技術」のラジカルな(根源的なレベルでの)進化と捉えることもできる。
  • 「ことのは」問題を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    4月中旬、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明氏にインタビューした。すでに多方面で議論の的になっているが、インタビュアーはGrip Blogの泉あいさんとアルファブロガーのR30さん、それに私である。このエントリーやここ、ここなどに詳しい。いったいどのような事件が起き、なぜこのようなインタビューが実現したのかは、これらのエントリーを読んでいただければと思う。 私がこの企画に参加したのは、認識とコミュニケーションの断絶という問題にここ最近、ひどく囚われていたからだった。「総中流」といったような共通の土俵が日社会から徐々に失われ、人々の拠って立つ場所は細分化されつつある。余談になってしまうが、たとえば私は先日、産経新聞のコラム『断』に次のような短い原稿を書いた。 四月十一日の朝日新聞夕刊に、「『若者よ怒れ』 新宿ロフト代表の平野悠さん」という記事が掲載された。名門ライブハウスの六十一歳になる代

    kd_tsugu
    kd_tsugu 2006/05/23
    「ネットの中に絶対的正義が醸成されてきてしまった背景は、どこにあるのだろうか。」
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