タグ

増田と家族に関するkeanoのブックマーク (12)

  • 父親が死んだ | アラサー独身男の犬日記

    きょう、実の父親が死んだと、地元の警察署から電話があった。 近所の人が訪問しても応答がなかったため、警察と消防が中に入ったところ、自宅の床に倒れていたそうだ。68歳だった。祖父は90歳過ぎまで生きたから、それくらいまで生きるのだろうと勝手に思っていた。死んだといわれても実感に乏しい。 命の灯火が消える瞬間、何を思ったのだろう。そんなことを考えてしまう。きっと脳裏に浮かんだのは私の顔だったのではないだろうか。関係性がよくなくて、私は近年ずっと父に会うことを避けていた。春先に来た「会って話したい」というLINEにもあいまいな返事をした。8月には「ステーキでもどうだ」と連絡が来たけど、それも無視した。 今さらステーキにつられるわけもないのに、その発想がいじらしい。ステーキくらい付き合ってやればよかった。 後悔はしないと思っていたのに、いざこの日が来ると胸が痛い。 □ 私は、父が35歳のときの子ど

    父親が死んだ | アラサー独身男の犬日記
  • おかあさんがこわれた

    はじめにずっと独りで苦しんできたのだが、いっそこの際匿名で吐き出してしまおうと思って書いている。 まとまってなくて、ただただ気持ちを書いたので、オチもないし伝えたいこともないクソみたいな文章になってしまった。 ぼくの家について題はタイトルの通りなのだが、その話をする前に、かなり長い脱線になるかもしれないけど、ぼくとおかあさんのお話をさせてほしい。 ぼくの家は九州の田舎にある。そして母子家庭だ。とはいえ、父親と離婚したわけでも、死別したわけでもない。 おかあさんはあまり父親のことを語りたがらなかったが、どうやらぼくを授かったあと、「やっぱり入籍はできない」という話になったそうだ。 だから、最初からおかあさんとぼくだけだった。ぼくの名前も戸籍に入ることを前提に名付けていたようなので、子供ながらに「変な響きの名前だなぁ」と思うことがあった。 母子家庭なので、当然おかあさんは女手1つで仕事育児

    おかあさんがこわれた
  • 実家と家族ぐるみで付き合うもの?

    続き https://anond.hatelabo.jp/20230312114510 の実家は、僕、僕の実家と家族ぐるみで付き合いたいらしい。と、最近言われた(もそうしたいらしい)。 ただ、僕としては「家族ぐるみの付き合い」をそれ程求めていない。 別にの両親が嫌いなわけではない。 ただ、何かと手間のかかる面倒に巻き込まれることが過去何度かあり、僕側は負担だけを感じるので、適度に距離を置きたいのだ。 の両親は地方出身でお米や野菜をに送り、それ自体は嬉しいが、付き合いを求められ時間を削られるので(いきなり呼び出されて深夜まで飲まされるとか)、それで仕事に支障が出たこともある。 正直、収入には困っておらず物は自分で買えるから、大きなメリットでもない。 「お互い助け合いたい」みたいなことを言われたこともあるが、正直、負担のほうが目立つ。 加え、の両親は僕の両親とも「家族ぐるみで付き合

    実家と家族ぐるみで付き合うもの?
  • ハチャメチャに愛されて育った

    私はサンタを12歳まで信じていた。両親は当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。 父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。 母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。 とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。 「浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。 「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と

    ハチャメチャに愛されて育った
  • ようやく絶縁できた

    ようやく親と絶縁できたかな? 色々あって親とはもう10年ぐらい会ってないし自分の結婚式にも呼んでない。 電話は2回に1回ぐらいしか出ない。 今日の電話は母親から 「父親が肺がん告知を受けるから来週○日の○時に病院に来い」というものだった。 面倒だし仕事を休めないので断ると 「医者から息子を連れてくるように言われている。連れて行かないと親戚からも何を言われるか解ったものではない」 と。 「何を言われるかこっちには関係ないし、そんなこと言われても知らねーよ」 と返した所、 「お前は親を親とも思っていないのか?」 と返してきた。返事するのも面倒だったが 「そうだとしたらなにか問題か?」 と言ったら 「当だな?この事は親戚中に言っても構わないか?」 とよく解らない理屈を言い出したので 「良いよ」 とだけ答えて通話ブチ切り。 ようやく俺の気持ちを解ってくれたか... −−−−−−−−−−−−−−−

    ようやく絶縁できた
  • 5年以上ロクなものを食べていない

    かれこれ、少なくとも5年以上はまともな事を取っていない。 朝と昼はコンビニかスーパーの惣菜で、 晩は4種類のメニューのどれか(チンジャオロースー・きのこの炒め物・麻婆茄子・レトルトの餃子)と決められていて、 他のものはべられない。 我が家のルール理由は、専業主婦の母が更年期障害になって料理をしなくなり、その上で自由に台所を触るのを禁じたため。 私は大学生だ。高校は、全生徒が大学に進学するのが当たり前ということになっていて、 それ以外の進路を希望すると指導室行きになる学校だったため、就職という選択肢はなかった。 父と母と私の3人家族。父は単身赴任していて好きなものをべられるから、私のことなんて知ったこっちゃないのだ。 父の口癖は、「お前さえ黙っていれば家の中は丸く収まるんだ」。 朝ご飯と昼ご飯は、私はべること自体が禁止されていて、お湯を沸かしてカップラーメンべることさえ許されなく

    5年以上ロクなものを食べていない
  • 弟の結婚生活がおかしなことになっている。

    弟の結婚生活がおかしなことになっている。 たぶん結婚したのが間違いだったような、そういう二人ではある。だけど子供も生まれてるし、間違いだとしてもなんとかうまくやってほしい。 けどそれでうまくやれるなら家庭裁判所とかいらないですよね・・・ ここ数日、頭が煮えている。とにかく吐き出す。 弟は十五年前に私の友人に一目惚れし、その恋はいまだ終わらずに続いてる。 弟は貧相な体格でぼそぼそとうつむき加減に喋る少年だった。いじめられたりはしなかったようだが、クラスでは冷遇されがちで友人は少なかった。 そんな弟が一目惚れをきっかけに体を鍛え始め、ファッション雑誌などを買ってくるようになった。 友人は成績優秀な明るい美少女だったので、少しでもふさわしい男になろうとしたんだと思う。弟の努力は凄かった。 弟は変わった。筋肉がついて体が大きくなったし、表情も変わってよく笑うようになった。他人の目をきちんと見て話が

    弟の結婚生活がおかしなことになっている。
  • 俺たちが歩む道

    ※追記あり 今日Facebookでたまたま中学の頃の同級生のページを見つけた。 当時のことを思い出しながら懐かしさ半分、好奇心半分で同級生のページを見ていった。 俺の中学校は大阪の南部にある。 関西の人なら分かるかもしれないが柄の悪さで有名だ。 女の担任をグーで殴って辞職に追い込んだり、一晩で校舎中の窓ガラスを叩き割ったりするような学校だった。 一言でいえば動物園。人間のルールは園内では通用しない。 そんな中で俺は三年を過ごした。 中学の頃は非常に内向的で自分に閉じこもりがちだった。周りもヤンキーばかりで馴染めない。普通クラスの端っこにオタクグループがあるらしいが、うちの中学にはなかった。 机に突っ伏して休み時間をやり過ごしては毎日逃げるように学校を去っていた。 当然スクールカーストは最下層。身体的なイジメには合わなかったが、心に刺さる言葉を投げかけられることは多々あった。 正直にいうと当

    俺たちが歩む道
  • 今日アルバイトの面接に行ってきた

    今日某塾アルバイトの面接に行ってきた。 面接官は、黒斑メガネの若いお兄ちゃんだった。 温厚な人だなあ、と思って、自分の考え言ったら、とりあえずボロクソ言われた。 めちゃくちゃ怒られた。説教された。 もちろん自分の教育に対する態度もだけど、何よりも自分の人格とか、意識について。 「なんでもっと頑張らないんだ!? こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ! リーダーシップとか取ったことないの?何を一番頑張ったと言えるの?そういうもの、ないの?! なんでこんな生温い生活を送ってるんだ?!大学生なのにこんなのでいいのか?!もっと頑張らなくていいのか?!」 とりあえず、色々怒られた。私は意識が足りないと。私はもっと頑張らなきゃいけないと。 そして、何かちゃんと最後までやりきって、自分の物にしたほうがいいと。 自分のやりたいことに向かって、精一杯頑張った方がいいと。 そん

    今日アルバイトの面接に行ってきた
  • レインマンになった嫁と暮らす

    「レインマン」って映画がある。 トム・クルーズが若い頃、たしかトップガンの次の次ぐらいに出た作品で、アカデミー賞を取っている。 △△△ 主人公のチャーリー(トム)は、父の遺産相続問題をきっかけに、自分が物心つく前から施設に入ってて存在すら知らなかった兄のレイモンド(ダスティン・ホフマン)と再会して、施設から無理やり連れ出してはみたものの、自閉症のレイモンドが次々にやらかす奇行にすっかり参ってしまう。飛行機で移動しようと空港に行けば、「ABC航空はダメ、19xx年x月x日どこどこで墜落○○人死亡。DEF航空?ノー!19xx年x月x日○○人死亡……」と百科事典のように正確な記憶力を見せて暴れ回る。 「大丈夫だって!飛行機はそう簡単には落ちないよ」 弟がいくら確率を持ち出して説得しても兄のパニックはおさまらない。 根負けしたチャーリーが数千キロもの行程を運転して行こうと高速に乗れば、今度はハイウ

    レインマンになった嫁と暮らす
  • 弟の相談を笑っていたら死にやがったw

    2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。 先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。 父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。 アル中気味の父親は

    弟の相談を笑っていたら死にやがったw
  • 若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった

    若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった。そのときに言われたことは、「あなたは愚かです。それがとても良かった」という意味のことだった。 「あなたは愚かでした。あなたは教えられたことを完全に学習しませんでした。お利口な子は、そんなふうに教えられたら、それを内面化する。でもあなたは理解が遅かったので、あなたという個人をうしなわずに済みました」 「あなたが教えられた内容を完全に内面化していたら、あなたはたぶん生きていません」 「あなたは彼らの言うことが理解できなかった。あなたは成長が遅くて、だから愚かだった。あるいは身を守るために愚かであることを選択した。どちらかは私にはわからない」 「ともかく、それがあなたを救った。あなたは可哀想なくらい強くて、ひどく愚かだったので、死ななかった。それはとても幸運なことです。わかりますか?あなたは死んでいてもちっともおかしくなかった」 「あなたが成

    若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった
  • 1