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2013年3月12日のブックマーク (6件)

  • 花粉症で失明しかかった話

    花粉症が直接の原因でないが、それで失明しかかってしまったという体験談。 こういう事があるので皆さん注意して下さいというまとめ。

    花粉症で失明しかかった話
  • マイケル・サンデル教授もついに--勢いを増すMOOCの流れ

    印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます 以前、コラムでMOOC(Massive Open Online Course)を取り上げたことがあったが、高等教育の世界を大きく革新しそうなこの流れがさらに勢いを増しているようだ。 2月下旬には日でも「東大がCourseraと組んで今年秋から2つの講座を始める」という発表があったばかり。 一足先に盛り上がりを見せている米国では、ついにあのマイケル・サンデル教授——著書『これからの「正義」の話をしよう』や、テレビ番組『ハーバード白熱教室』で知られるハーバード大ロースクール教授——の講義が、3月12日からオンラインで公開されるそうだ。 サンデルの幼なじみである著名コラムニスト、トーマス・フリードマンがNew York Timesへの寄稿

    マイケル・サンデル教授もついに--勢いを増すMOOCの流れ
  • 世界のWebデザイナーのお給料はいかほど?

    2013年12月25日 Web関連記事, 海外情報 以前日のWeb屋さんと、海外のWebデザイナーのお給料について話したことがあります。話を聞く限り、日は長時間労働・低収入、海外は時間キッチリ・高収入な私の勝手なイメージ。じゃあ実際どんなもんかしら?と思い、働いたことにある国を中心に、6カ国の賃金事情を調べてみました。各国の最低賃金とWebデザイナーのお給料はどのくらいあるのでしょう? ↑私が10年以上利用している会計ソフト! さっそく見てみましょう! お給料(年収)は総支給額の中央値、レートは2013年3月11日のものです。ソースは記事の最後に。 オーストラリア オーストラリアが国で定めた最低時給はAU$15.96(1,568円)*1。オーストラリアはチップ文化がないため、比較的高めの設定になっていると聞いたことがあります。ちなみに日曜に出勤したら時給2倍に、祝日だと3倍になります!

    世界のWebデザイナーのお給料はいかほど?
  • 今日アルバイトの面接に行ってきた

    今日某塾アルバイトの面接に行ってきた。 面接官は、黒斑メガネの若いお兄ちゃんだった。 温厚な人だなあ、と思って、自分の考え言ったら、とりあえずボロクソ言われた。 めちゃくちゃ怒られた。説教された。 もちろん自分の教育に対する態度もだけど、何よりも自分の人格とか、意識について。 「なんでもっと頑張らないんだ!? こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ! リーダーシップとか取ったことないの?何を一番頑張ったと言えるの?そういうもの、ないの?! なんでこんな生温い生活を送ってるんだ?!大学生なのにこんなのでいいのか?!もっと頑張らなくていいのか?!」 とりあえず、色々怒られた。私は意識が足りないと。私はもっと頑張らなきゃいけないと。 そして、何かちゃんと最後までやりきって、自分の物にしたほうがいいと。 自分のやりたいことに向かって、精一杯頑張った方がいいと。 そん

    今日アルバイトの面接に行ってきた
  • 東南アジアにインターネットブームが来る3つの理由 – Rebright Partners

    東南アジア経済の隆盛はもはや広く知られてところではあるが、 「東南アジアにインターネットブームがやってくる」というと、ピンとこない方も多いのではないか。 以下では、この地域のインターネット産業が近い将来勃興すると筆者が考えるにいたる、3つのポイントを論じたい。 1 ASEANブーム まず第一に、マクロ的、地政学的な要因についてである。 インターネット産業の勃興には、やはり経済全体が発展することが基要件であり、それによりはじめて通信インフラが高度化したり、人々の可処分所得が増加してEコマースやスマートフォンにおカネを費やすようになる。 さて、この地域のマクロ経済を語るうえで第一に重要な点は、2015年のASEAN統合である。 この点は日では語られることが少ないようであるが、AEC(Asean Economic Committee)といって、EUのような経済共同体がこの地域に出現するのであ

    東南アジアにインターネットブームが来る3つの理由 – Rebright Partners
  • 海賊FMラジオのこと

    ※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。 大阪。1994年の春頃。俺は15歳で高校受験の年だった。 当時は、勉強しながらよくラジオを聞いていた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。 あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。 なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。 ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中

    海賊FMラジオのこと