例の少女マンガ家による「スラムダンク」の構図盗用問題について、「竹熊の意見が聞きたい」という声があちこちから寄せられるようになりました。著作権問題についてはかねてから関心のあるところであり、この際「報道から知りうる範囲」を材料にして、自分の意見を述べてみたいと思います。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/18/news099.html http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051019k0000m040140000c.html http://www.kodansha.co.jp/info.html(←講談社お詫び文/現在削除) http://www.kodansha.co.jp/betsufure/(←編集部&著者お詫び文) http://cabin.jp/k55yuki/(←ネット上で設
雑多に詰めこんできた知識を雑多なままにしておく、とにかく種々雑多な知識を得ることに喜びを見いだす人がいれば、雑多な知識をそのままにしておかず、相互に関連づけ体系立てる、あるいは関心にしたがって知識を得ることに幸福を感じる人もいる。 前者のタイプはクイズ向きだ。職業柄もあって、どちらかと言えばわたしは後者に属するほうかもしれない。ただ後者にも大別して二つのタイプがあって、自分で体系立てることに執念を燃やす学究型・創造型と、他人によって体系立てられた本を読んで、それまで自らに蓄えられた知識をそこに位置づけることで満足する受動型に分けられる。わたしはこれまた後者に属しよう。要は面倒くさがりなのだ。 ここ何年か古い日本映画を観る機会が多くなると、ブッキッシュな志向をもつわたしはそうした映画に関する書物にも手を伸ばすようになる。と言うより、書物に寄りかからないと不安な気持ちになるのである。 最近では
今朝の日経「領空侵犯」で「オ タク肯定論を排す」と題して、東大の西垣通氏がオタク批判を展開。「真性オタク」だったらまだいいのだ が、いまや「まやかしのニセ・オタク」が圧倒的に多くなったと嘆いておられる。大笑い。 要旨: 若い人の魅力は大志を持って目標に挑戦する精神である。オタクは自分の好きな狭い対象にだけ固執して、他のものに一 切興味を示さない。挑戦しない。まるで老人が骨董品をなで回しているイメージだ。 評論家や学者のなかにもオタク文化を持ち上げる人がいる。昔はサブカルチャーだったが、今やメインになってしまっ た。若者はヒットした娯楽作品ばかり追いかける。支配的な娯楽資本のただの消費者になってしまった。 かつてのオタクが真性オタクだったとしたら、今、まやかしのニセオタクが圧倒的に多い。周囲から浮き上がってしまう ことを恐れてオタクのふりをする人が増えた。 かつてのオタクには、ある種の差別
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