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*論文に関するkeepfineのブックマーク (3)

  • 【書評】吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書、2007年) - Say Anything!

    アジア・太平洋戦争終戦から65年が経ち、戦争体験者亡き後の平和をわれわれ若い世代がどう構築していくか格的に取り組まなければならない時代が近づいている。そのような中、戦後生まれ、いわゆる「戦無派」世代の日近現代史研究者で一橋大学教授の吉田裕氏がまとめ上げた書は、全5章を使ってアジア・太平洋戦争開戦前夜から終戦までを対米戦線の経過を中心にして政府、軍部、宮中、アメリカ、植民地、前線の日兵、一般市民といった多様な視点から詳細に描きだし、一次資料に基づいた戦争のリアルな実態と今も残る戦後処理の諸課題をわたしたちに明確に示してくれる。またはじめに述べられている「来ならば戦後処理の前提となるべきはずの戦争責任」、「戦争や戦場の現実に対するリアルな想像力の回復」という2つの問題意識は全体を通して強く感じられる。ここでは各章のハイライトを紹介し、最後にこの2つの問題意識に立ちかえってみることとし

    【書評】吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書、2007年) - Say Anything!
  • MATSUO'S PAGE

    松尾匡のページ 私の主張3 :ソ連型体制は国家資主義だった まだ資主義が発達していない小農民経済から、工場建設資金とそこで働く労働者を作りだし、資主義経済が自立的に展開するようになるまでのプロセス、要するに遅れた農業国の工業化のプロセスのことを、資源的蓄積という。この過程では多かれ少なかれ、国家の強権が利用される。しかしその程度は、その時代の世界資主義の発展段階によって異なってくる。 19世紀の自由競争資主義段階とそれに先行する時代の源的蓄積様式は、自営農民が商品生産を始めて、民富を蓄積してブルジョワジーになるものと没落してプロレタリアートになるものとに分解し、やがてこうして台頭したブルジョワジーが、商売の邪魔になる封建勢力を打倒して取引の自由を手にいれるという方式、すなわちいわゆる「下からの」源的蓄積様式であった。英、米、仏の先行工業国で見られたものがこれである。この

    keepfine
    keepfine 2010/08/21
    本源的蓄積、教育制度
  • ポストフォーディズム - Jinkawiki

    ポストフォーディズムは、工場や事務所などで雇用されている賃労働者だけでなく、社会全体を剰余価値生産に総動員させる体制のことである。社会では、人々が、ネットワーク形成の様々な技術を集団的に創造し、そうした技術にしたがって様々なネットワークを実際に創造し、また、そうしたネットワークを通じて新たな知識や新たな情動を集団的に創造している。ポストフォーディズム体制において、資は、これらすべてを剰余価値生産に総動員する、すなわち、これらすべてを労働のもとにおくのである。しかし、ここで重要なことは、ネットワーク形成技術の集団的創造、ネットワークそのもの、そして、ネットワークを通じて集団的に創造される知識や情動といったものは、その性において政治的なもの、すなわち「生-政治的なもの」だということである。したがって、ポストフォーディズム体制下で資がこれらすべてを労働に専念させるとき、資はまた、それと同

    keepfine
    keepfine 2010/08/15
    ポストフォーディズム
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