天下統一を目指し勢力を拡大していた織田信長が京都に入ってまもない時期に、敵対する武将に降伏を促す文書が見つかりました。調査した東京大学史料編纂所の研究者は高圧的な態度で降伏を迫る信長の政治行動がわかる貴重な資料だとしています。 その結果、武力で天下を治めるという意味の「天下布武」という朱印などから1570年に書かれた文書で織田信長が名門・細川家の細川昭元に宛てたものと結論づけました。 当時、信長は天下統一を目指して勢力を拡大するなかで将軍、足利義昭とともに上らくしてまもない時期で今の大阪・摂津で昭元が立てこもる城に攻め込んでいました。 文書では、昭元に対して降伏するよう促し、その場合は播磨などの領地を与えることや、四国については影響力を持っていた昭元を特別に扱うとしています。 昭元がこうした条件をのんだかはわかっていませんが、文書の翌年には、信長に降伏した記録が残っています。 村井准教授は