音楽家への巡礼は、英語が通じない国でも、メロディーを口ずさむことで誰を探しているのか相手に伝わることも多く、まさに「音楽は言葉の壁を越える」、だね。 ★ベートーヴェン/Ludwig van Beethoven 1770.12.16-1827.3.26 (オーストリア、ウィーン 56歳)1989&94&2002&05&15X2 Zentralfriedhof, Vienna, Wien, Austria/Plot: Group 32 A, Number 29
本名佐藤義清(のりきよ)。生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人。『新古今和歌集』には最多の94首が入選している。宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。 祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、幼い頃に亡くなった父の後を継ぎ17歳で兵衛尉(ひょうえのじょう、皇室の警護兵)となる。西行は御所の北側を警護する、院直属の名誉ある精鋭部隊「北面の武士」(一般の武士と違って官位があった)に選ばれ、同僚には彼と同い年の平清盛がいた。北面生活では歌会が頻繁に催され、そこで西行の歌は高く評価された。武士としても実力は一流で、疾走する馬上から的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の達人だった。さらには、鞠(まり)を落とさずに蹴り続ける、公家&武士社会を代表するスポーツ「蹴鞠(けまり)」の名手でもあった。「北面」の採用にはルックスも重視されており、西行は容
『現代用語の基礎知識』は1948年創刊、60年以上の歴史を持つ老舗辞典! 解説文は「歴史上の人物や有名人の墓を訪ねて歩く人」となっていました ★特報!『広辞苑』と並ぶ国語辞典の双璧、三省堂の『大辞林』電子版(見出語数269,000)に造語《墓マイラー》が収録されました! 意味は「歴史上の偉人などの、著名人の墓参りを趣味とする人を俗にいう語」とのこと。 分かりやすい説明ではありますが、この言葉の 生みの親として、三省堂のかたに次の想いを…。 僕の場合、著名人だから墓参するのではなく、たとえ無名でも自分が偉人と思った人に 墓参しているので、説明文としては「著名人」 という言葉を外して「感謝」という言葉を入れた次の一文がより本当の意味に近いかと(汗)→ 「歴史上の偉人などに感謝の気持ちを伝えるため墓参りを趣味とする人を俗にいう語」 ※著名ではない不遇な偉人がたくさんいます。改訂版のときに反映して
【 あの人の人生を知ろう~世阿弥/観阿弥 】 ★世阿弥 元清/Motokiyo Zeami 1363-1443.8.8 (享年80才) ★観阿弥 清次/Kiyotugu Kanami 1333-1384.5.19 (享年51才) 「命には終わりあり。能には果てあるべからず」(世阿弥) ●中将…貴族や天皇、平家の武者の亡霊にもちいる、福来が制作した能面。モデルは平安時代随一のイケメン、在原業平だ。目が印象的だけど、僕は何かを訴えようとする口元にグッとくる。なんて感情的豊かな口元なのか。おはぐろや眉墨は当時の貴族の風習。「清経(きよつね)」「忠度(ただのり)」「雲林院」「融(とおる)」「玄象(げんじょう)」などで使用。 ●孫次郎…孫次郎制作の能面。若くして病で亡くなった孫次郎の妻がモデル。ジッと見てると、どれだけ孫次郎が彼女を愛していたかヒシヒシ伝わってくる。面の裏に「オモカゲ」と彫られている
★特報!『広辞苑』と並ぶ国語辞典の双璧、三省堂の『大辞林』電子版(見出語数269,000)に造語《墓マイラー》が収録されました! 意味は「歴史上の偉人などの、著名人の墓参りを趣味とする人を俗にいう語」とのこと。 分かりやすい説明ではありますが、この言葉の 生みの親として、三省堂のかたに次の想いを…。 僕の場合、著名人だから墓参するのではなく、たとえ無名でも自分が偉人と思った人に 墓参しているので、説明文としては「著名人」 という言葉を外して「感謝」という言葉を入れた次の一文がより本当の意味に近いかと(汗)→ 「歴史上の偉人などに感謝の気持ちを伝えるため墓参りを趣味とする人を俗にいう語」 ※著名ではない不遇な偉人がたくさんいます。改訂版のときに反映してもらえたら…(^^;) 「ありがとう」このたった一言の感謝の言葉を伝えたくて、僕は10代の終わりから40代になる現在まで、国内外の作家や芸術家
【 あの人の人生を知ろう~太宰治編 】 1909.6.19-1948.6.13 享年38歳 下宿生活をしていた当時の太宰。18歳ごろで随分あどけない(笑)。 太宰のヒーロー・芥川龍之介 この3枚は全部芥川のポーズ!どれだけ芥川のことが好きだったのかよく分かる!(笑) ●太宰治、その波乱の人生 本名、津島修治。青森県津軽の大地主の家に生まれる。父親は貴族院議員も務め、邸宅には30人の使用人がいた。小学校を首席で卒業。14歳の時に父親が病没し、長兄が家督を継ぐ(太宰は六男)。16歳の頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始めた。高校では芥川、泉鏡花に強く傾倒し、中高を通して書き記した習作は200篇にも及ぶという。18歳の時に敬愛する芥川が自殺。猛烈に衝撃を受けた太宰は学業を放棄、義太夫を習い花柳界に出入りし、青森の料亭で15歳の芸妓(げいぎ)・小山初代と知り合い深い仲になる。
「芸術を生むために日々努力をしている人に感謝します。僕は芸術なしでは生きられない」(S・ソダーバーグ監督、アカデミー賞受賞式にて) 「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても海全体が汚れることはない」(ガンジー) 「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出ていく」(チャールズ・チャップリン) 「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」(マーティン・L・キングJr) 「私は貴方の意見には反対だ。しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守る」(ヴォルテール/S・G・タレンタイア)
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