2007年3月14日のブックマーク (3件)

  • 私 いつものように口と膣を犯される。髪をつかまれ喉の奥まで銜えさせられ..

    いつものように口と膣を犯される。髪をつかまれ喉の奥まで銜えさせられる行為にも、前戯もなしに挿入されることにも、もう慣れた。男達は自身が満足するまで私を犯し続ける。私は他人事のように。違う世界の人の事ようにそれを見る。そして終わるまでただ待つ。からっぽの頭で。ただただ待つ。 気がつくと部屋には誰もいなかった。もう事が済んだようだ。噎せ返るような男の臭いが染み付いた部屋。拘束された手足はズレを起こして赤く腫れている。何日過ぎたのかはもうわからない。最初のうちは、彼らに対して怒りがあった。しかし、時が経つにつれ、怒りは恨みに。恨みは辛みに。そして辛みも次第に摩耗して、何の感情も抱かなくなっていた。その時からだろう。もちろん、彼らが使った薬のせいもあるのだろうけど、その時を境に決定的に、思考が散漫とし、物事を考えることが困難になった。今考えられるのは一つだけ。家族のことや、脱出方法、復讐といったこ

    私 いつものように口と膣を犯される。髪をつかまれ喉の奥まで銜えさせられ..
  • 「ここが駄目」から始まる啓発からは正しい改善は生まれない - はてな匿名ダイアリー

    「○○してはいけない」「○○する人間は嫌われる」という啓発は、改善に繋がらない事が多い。それどころか、論点が激しくズレてしまう可能性を秘めている。 例えばこの文、 脱オタに言いたい4項目 1. ブランドにこだわらないでくさい 2. 斜め上に行かないでください 3. 足元見てください 4. 雑誌に影響されすぎないでください この文章が正しいか正しくないかに関わらず、この啓発は改善を生み出すことは無い。その理由は2つである。 ちなみに、この文章は、改善を産み出すための文章ではないので、「ここが駄目」という文章で書く事にする。 1.「ではどうすればいいか。」がキチンと書いていない。 「ここが駄目」という部分は長々と書いている癖に、「ではどうすればいいか」の部分は文章の最後に、申し訳程度にしか書かれていない事が多い。 改善を促す文章を書くのであれば、駄目な部分より、改善策の部分に力を入れるべき。

    「ここが駄目」から始まる啓発からは正しい改善は生まれない - はてな匿名ダイアリー
  • 余白の発見

    余白の発見 えー、マンガの歴史とか起源の話になると、たいてい何やら戯画とか江戸の何々とかの解説から始まるわけで、それがコマで囲まれて、コマが順番に並べられて読んでいくって過程を経て、今のマンガの形式が成立したっていう大雑把な説明がある。でも従来のこの話には腑に落ちない点があって、それが、そもそもコマがあることを前提としているってことである。もはや疑問にすら思わないコマの存在。だけど、少女漫画を読むと、コマ枠なんだがはっきりしない線で区切られた、コマ構成と呼べるのかもはっきりしない表現を目の当たりにする。そもそもコマがあるってこと自体がマンガにとって表現を押し込めていなくもないと感じてしまう。コマがあって、その中にキャラクターが描かれ、フキダシがあって背景があって……コマの中に物語世界が全部詰まっているってのは当だろうか。 伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」で提起された「フレームの不確