CM音楽のプロデューサーとして1970年代の音楽シーンに新風を吹き込んだ大森昭男は、日本におけるコマーシャルソングの祖といわれる三木鶏郎の門下生で、1960年に作家集団の「冗談工房」に入社して音楽制作の道を歩み始めた。 作曲家の桜井順とともに1965年にブレーンJACK設立した大森は、斬新な映像感覚で”CM界のクロサワ”とも呼ばれた杉山登志と組んで活躍し、世界的な注目を集めた資生堂のコマーシャルを作って注目を集めた。 そして1972年に自らの事務所ON・アソシエイツを発足させてまもなく、はっぴいえんどの大瀧詠一に音楽を依頼している。 はっぴいえんどを聴いた時、すぐに、こういう新しい人たちと仕事がしたいと思いました。色々と感じ入る曲があったんですけど、三ツ矢サイダーの仕事に繋がったのは「ウララカ」です。企画をもらった時、直感的に、その場でこの大滝さんにお願いしようと思ったんですね」 1971