ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/mori (17)

  • 勝新太郎の本領とすごさ──徒花的な『座頭市』はまるで勝新そのもの

    <70年代中頃からテレビドラマとして放送された座頭市シリーズだが、今日の地上波で再放送できるだろうか──もしも勝新の前史がなかったらかなり難しいだろう。でも、不可能ではない> 座頭市のシリーズを初めて観たのは、(例によって)僕が人生において最も多く映画を観ていた学生時代だ。もちろん名画座。1989年に勝新太郎が自身で監督したシリーズ最終作は別にして、その前の25作が公開されたときは子供だったから、リアルタイムでは観ていない。 全て徹底してエンタメだ。網走番外地シリーズや『シェーン』などの西部劇にも通じる作法だが、じっと辛抱を続ける主人公の悪への怒りが最後に炸裂するというパターンは、映画としては鉄壁の黄金律だ。市は全盲という設定だから、この展開になじみやすい。 ただしそれは当時だから思えたこと。この原稿を書くために1目の『座頭市物語』など何かを観返したが、(差別用語が頻出することはともか

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    ken-ne86 2021/06/20
  • 『嵐電』で堪能する宇宙的時空 「行きつ戻りつ」でシンクロする映画と人生

    <人を選ぶ映画であることは否定しない。テレビ放送や配信に向いている作品でもない。でもじっとスクリーンを見つめ続ければ、映画の中の時間が自分の過ごしてきた人生と重なる> 『嵐電』のストーリーや概要を記すことは難しい。というかほとんど意味がない。特にストーリーは。だって明確な起承転結はない。 観ながら思う。おそらくテーマは時間だ。行きつ戻りつするのは過去と現在。でもその繰り返しを眺めるうちに、いつの間にか未来に来ていることに気付く。 僕は学生時代に自主製作映画に夢中になり、卒業後はテレビ業界で仕事をして、そしてまたいま映画仕事をしているだけに、テレビ映画の違いは何だろうと時おり考える。DVDが普及して配信で映画を観ることが当たり前になり、さらにコロナ禍で劇場やライブハウスやミニシアターの存在意義が問われている今だからこそ、映画映画館の意味について考える。 まずは大きなスクリーン。そして暗

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    ken-ne86 2021/06/07
  • そこまで見せるか...マスコミの「恥部」を全部さらすドキュメンタリー『さよならテレビ』

    <視聴率に固執する報道番組の裏舞台、正社員と派遣社員の格差、権力監視をめぐるディレクターやプロデューサーたちの温度差──そこまで撮るのか、と僕を含むテレビ業界人たちは唖然とした> 2011年、愛知のローカルテレビ局である東海テレビ放送でオンエアされたドキュメンタリー番組『平成ジレンマ』が劇場版映画として再編集されて、全国のミニシアターで上映が始まった。 この企てのキーパーソンはプロデューサーである阿武野勝彦。その後も阿武野は自身が制作した多くのテレビ・ドキュメンタリーを放送後に再編集し、映画として公開し続けた。 今でこそテレビで放送されたドキュメンタリーを再編集して劇場で上映することは珍しくないが、東海テレビはいわばその先陣だった。さらに東海テレビの特質は、扱うテーマの際どさだ。体罰が原因で塾生の死亡事故を引き起こし、服役した戸塚ヨットスクールの戸塚宏が被写体の『平成ジレンマ』に続き、名張

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    ken-ne86 2021/05/21
  • 蔓延する憎悪と殺戮 パレスチナで突き付けられる「傍観者でいいのか」という問い

    <イスラエル・パレスチナ問題──これまでにも多くの日人監督がこのテーマに向き合ってきたが、『傍観者あるいは偶然のテロリスト』はその系譜の最新作だ> イエス・キリストが信じていた宗教は何か。こう質問されたとき、正解を言える日人は少ない。答えはユダヤ教。キリスト教は彼(ナザレのイエス)が処刑された後に、弟子たちが広めた宗教だ。 なぜイエスは処刑されたのか。形骸化したユダヤ教旧体制を批判したため、ユダヤ教祭司や律法学者から憎悪されたから。つまりキリスト教を信仰する人々にとって、ユダヤ人はイエスを殺害した民族ということになる(イエスもユダヤ人だが)。 だからこそ、アウシュビッツの強制収容所が解放されてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実態が明らかになったとき、西側世界の人たちは驚愕しながら萎縮した。なぜならナチスだけではなく自分たちも、何世紀にもわたってユダヤ人を差別し、迫害してきた加害者である

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    ken-ne86 2021/04/09
  • 『ゆきゆきて、神軍』の原一男が、誰にも撮れないドキュメンタリーを発表できる訳

    <この作品を地上波で放送することは、当時も今も難しいだろう。ただしそれは、明確なルールに抵触しているからではない。犯罪者を被写体にしてはいけないというルールはない。ではなぜ?> 『A2』公開直後だから2002年頃だったと思うが、原一男監督に初めて会った。場所は渋谷のNHKの会議室。番組出演ではない。NHKの労働組合である日放送労働組合から、公開で対談を依頼されたのだ。 『A』『A2』のプロデューサーである安岡卓治(たかはる)も同席した。なぜなら彼は、原の代表作である『ゆきゆきて、神軍』のチーフ助監督だった。だから撮影時の裏話は、(奥崎謙三を撮ることを原に勧めたのは今村昌平監督だったことなども含めて)いろいろ聞いていた。でも原人に会って話すのはこの日が初めてだ。 事前の打ち合わせはなかった。拒否されたような気がする。いや、もしかしたら僕が拒否したのかもしれない。もちろん大先輩だから失礼の

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    ken-ne86 2021/03/25
  • 26歳の僕を圧倒した初ジブリ体験、『風の谷のナウシカ』に見た映画の真骨頂

    <観終わってしばらくは席から立てなかった──「火の七日間」はどんな戦争だったのか。腐海や王蟲、巨神兵は何のメタファーか。安易な答えは呈示されない。だから想像する。思考する> そのとき僕は26歳。交際していた彼女と映画を観ることにした。でも、この時期の僕は定収入がない。つまりフリーター(当時はそんな言葉はなかったけれど)。彼女も同じようなもの。極貧だからロードショーはほぼ観ない。当然のように名画座だ。 何を観るかは決めていた。『スプラッシュ』だ。泳げない青年アレンと人魚のラブロマンス。監督はハリウッドの職人ロン・ハワードだ。人魚を演じるのはダリル・ハンナで、アレンはトム・ハンクス。ただしこの時期、ハワードもハンクスもまだ無名に近かったはずだ。なぜ観ようと思ったのか。スマートフォンはもちろんネットもないこの時代、映画や演劇の情報は毎月買っていた情報誌「ぴあ」か「シティロード」で仕入れていたから

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    ken-ne86 2021/03/05
  • 『太陽を盗んだ男』は今ならば絶対に撮れない、荒唐無稽なエンタメ映画

    <バスジャックして皇居に突撃する軍服姿の老人、盗んだプルトニウムで原爆を作る中学教師──。長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』は、リアリティーをほとんど放棄し、エンタメに振り切っている。しかし、荒唐無稽なだけの映画ではない> 大学を卒業した翌年だったと思う。いや待てよ。単位が足りなくて4年生を2回やったから、まだ大学に籍はあったかもしれない。 とにかくその時期、アパートの部屋にあった電話機が鳴った。かけてきたのは、大学で同じ映研に所属していた黒沢清だ。 この時期の黒沢は、長谷川和彦監督(ゴジさん)の新作の制作進行をやっていた。急な話なのだけど、と黒沢は切り出し、明日のロケに役者として参加できないか、と言った。 この時期の僕は、新劇の養成所に研究生として所属していた。つまり役者の卵。卵のまま孵化しなかった。相当にハイレベルな若気の至りだ。 思わず沈黙した僕に、ジュリーに間違われる役なんだ、と黒

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    ken-ne86 2021/01/14
  • 塚本晋也が自主製作映画『野火』で描いた、戦争の極限状態と日本兵の人肉食

    <原作は大岡昇平。ぼろぼろの軍服でレイテ島をさまよう敗残兵たちは、互いを「貪りう」ため殺し合う──。脚・監督・撮影・主演・製作の全てを担った塚が映し出す戦争のリアルとは> 1980年代後半以降の日映画界には、自主製作映画を経て商業映画に進出した映画監督が多い。この連載でこれまで取り上げてきた監督たちも、半分以上は自主映画出身だ。 塚晋也が1989年に1000万円の予算で製作した『鉄男』を初めて観たときは驚いた。いや、驚いたのレベルではなくあきれた。どうかしている。なぜここまでやるんだ。観ながらずっとそんなことを考えていた。16ミリモノクロ。でも映画は自主製作の域をはるかに超えていた。CGなどない時代にほぼ全編が特撮。とにかく細部にこだわる。生半可な決意では作れない映画だ。 塚や僕の世代は8ミリか16ミリフィルム。その後にデジタルビデオが普及して、さらにミニシアターも増えて、近年

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    ken-ne86 2021/01/06
  • 騒音おばさんを映画化した『ミセス・ノイズィ』はまるで現代版『羅生門』

    <2005年、テレビとネットを中心にクローズアップされた奈良の騒音おばさん。嫌がらせであったのは確かだが、なぜメディアはこの程度の軽犯罪の容疑者の顔をモザイク無しでさらしたのか。映画はまさしく、実際の騒動そのままの設定だ> 『ミセス・ノイズィ』というタイトルを目にしたとき、あの騒音おばさんのことだろうかと思う人は、決して少なくないはずだ。僕もその1人。あの騒動を思い出した。それは決して心地よい記憶ではない。 2005年、奈良県生駒郡の主婦の存在が、テレビとネットを中心にいきなりクローズアップされた。主婦はCDラジカセで大音量の音を流し、あるいは早朝にベランダに干した布団を大きな音を立てながらたたき、さらに音に合わせて「引っ越し、引っ越し!」などと大声で叫ぶ。 こうした行為が隣家に対する嫌がらせであることは明らかだ。しかも度が過ぎる。映像は面白おかしくテロップなどを付けられてネットで拡散し、

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    ken-ne86 2020/12/11
  • 小津安二郎の『東京物語』はイメージよりもエグイ......でもやっぱり窮屈

    <大学の映画サークル時代、半ば義務感で観た『東京物語』の内容はほとんど記憶に残っていなかった。つまり「刺さらなかった」のだが、40年近く過ぎて改めて観てみると...> 大学の映画サークル時代、小津安二郎の作品は、教養として観ておかなければいけない映画の筆頭だった。でもどちらかといえば洋画派で、しかもスピルバーグとアメリカン・ニューシネマが大好きだった僕は、小津の作品を積極的には観なかった。代表作である『東京物語』は名画座で(半ば義務感で)観ているはずだが、その内容はほとんど記憶にないし、その後も小津の他の作品を観ようとは思わなかった。つまり「刺さらなかった」のだろう。 それから40年近くが過ぎて、僕の感受性もずいぶん変わったはずだ。そう考えながら再見して、こんなエグイ映画だったのか、と驚いた。もっと微温的で、ほんわかした家族愛の映画のような印象を持っていた。 黒澤明を別格にすれば、小津は世

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    ken-ne86 2020/11/13
  • ロマンポルノの巨匠が紡ぐ『(秘)色情めす市場』は圧倒的な人間賛歌

    <監督の田中登は絶対に生を否定しない。あいりん地区の季節労働者たちと娼婦の主人公。登場する女や男たちはとにかく生きることに前向きで...> ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争の米機密文書ペンタゴン・ペーパーズを掲載し、連合赤軍が榛名山の山岳ベースで同志たちの殺戮を始めた1971年。日活は業績悪化の打開策として、ロマンポルノ路線に舵を切った。つまり成人映画。この時期に中学生だった僕は、さすがにリアルタイムには観ていない。 でも大学に入って映画研究会に所属してからは、都内の名画座に通い続けて、かなりの数のロマンポルノを観た。ロマンポルノの条件は「10分に1回の濡(ぬ)れ場があること」と「尺は70分前後であること」。それさえ守れば、監督たちは自由に作ることができた。だからこの時期、神代(くましろ)辰巳や曽根中生など既に大御所となっていた監督だけではなく、石井隆や金子修介、崔洋一に周防正行、相米

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    ken-ne86 2020/10/16
  • 最前線にいた元皇軍兵士14人が中国人への加害を告白──『日本鬼子』の衝撃

    <捕虜の生体解剖や生体実験を行っていた731部隊員、南京虐殺に加担した兵士、捕虜の大量処刑に関わった憲兵。年老いた彼らが淡々と語るかつての加害行為。これは中国映画ではない> 『日鬼子』と書いて「リーベン・クイズ」と読む。中国語圏で日人を指す蔑称だ。ただし中国映画ではない。日で制作されたドキュメンタリー映画だ。 満州事変で始まった日中戦争は15年に及んだ。このとき最前線にいた皇軍兵士14人が、半世紀以上の時間が経過してから、中国兵士や一般国民に対する自らの加害行為を告白する。14人の中には捕虜の生体解剖や生体実験などを日常的に行っていた731部隊員もいるし、南京虐殺に実際に加担した兵士や、捕虜の大量処刑に関わった憲兵もいる。 すっかり年老いた彼らは自宅の居間や縁側、ホテルのロビーや診療所で、かつての加害行為を淡々と語る。村を襲撃した元兵士は家の中で幼児と共に震えていた若い妊婦をレイ

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    ken-ne86 2020/09/18
  • 強権にして繊細な男、若松孝二の青春を『止められるか、俺たちを』に見よ

    <徹底して反体制で反権力、苦労人だから金銭感覚はシビア。映画監督には喧嘩っ早い男が多いが、若松の強さは「別格」だという。それでも多くの人たちに慕われたのには理由がある> それほど前ではないはずなのに、初めて若松孝二に会ったときの記憶がはっきりしない。時期も場所も分からない。もちろん名前は以前から知っている。地方から上京してきた映画かぶれの大学生にとって、監督の若松は圧倒的なカリスマだった。 誰かから紹介されたのかもしれない。カリスマは、トレードマークでもあるサングラス越しに僕をじっと見つめていた。いやこれもはっきりしない。若松に憧れる映画人などいくらでもいる。おどおどと挨拶する僕に、(いつものように)素っ気なく対応したのかもしれない。 ところがなぜか気に入られた。これも理由がよく分からない。でもそう言っていいと思う。若松が登壇する映画上映後のトークの相手に呼ばれたときは、監督のご指名です、

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    ken-ne86 2020/09/10
  • 「顔の俳優」高倉健は遺作『あなたへ』でも無言で魅せた

    <器用な俳優でなければ演技派でもない。決して端正でもないし、無骨な上に顔が大きい。それでも彼の映画を観てしまうのには理由がある> 高倉健は顔の俳優だ。 ずっとそう思っている。『網走番外地』や『昭和残侠伝』のシリーズは、さすがに時代が合わずほとんど観ていないが、東映専属時代の最後期の作品『新幹線大爆破』以降は、全てではないがほぼ観ているはずだ。 誰もが同意すると思うが、決して器用な俳優ではないし、もちろん演技派でもない。でも映画を観てしまう。だって顔がいいのだ。 売れる俳優の条件として、人柄が良いことは重要だ。映画の現場はキャストとスタッフが長く寝を共にする。嫌な奴とは一緒の現場にいたくない。そして何よりも、内面は表情や声ににじむ。人は無意識領域でこれを感知する。演技ではごまかせない何かがある。 肩書の1つは映画監督だけどドキュメンタリーを専門にしてきた僕は、高倉健に会ったことはない。でも

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    ken-ne86 2020/08/31
  • 『人間蒸発』でドキュメンタリーの豊かさに魅せられて

    <突然失踪した婚約者を必死に捜す一人の女性と彼女に密着する製作陣。撮影過程で展開される出来事はドラマさながらだが、これは決して劇映画ではない> ドキュメンタリーの監督と思われている。......と書き出したけれど、確かにこれまで発表した映画作品は全てドキュメンタリーなのだから、この呼称は間違いではない。でも人としては微妙に違和感がある。 なぜなら映画を観始めた10代後半の頃は、ドキュメンタリーに関心はほぼ皆無だった。映画といえばドラマ。それが前提だ。ところが紆余曲折を経て(テレビドラマに携わるつもりで)入社した番組制作会社は、ドキュメンタリー制作に特化した会社だった。この時点で長女が生まれていた。また就活に戻る余裕はない。こうして僕のドキュメンタリー人生が始まる。 だからこの時期の僕は、小川紳介の名前すら知らなかった。ちょうど原一男が『ゆきゆきて、神軍』を発表した頃だ。気にはなったが観て

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    ken-ne86 2020/08/03
  • 今なら貞子はクラウド保存され、スマホから出てくる?──ホラーの醍醐味を製作目線で考える

    <ホラー映画では霊が画面に登場する瞬間だけではなく、その前のシーンも重要だ。だからこそ製作者たちは霊の登場シーンを必死に考えるが、大変なのは霊も同じ?> 僕は人一倍臆病だ。特に心霊系は苦手だ。でも興味がある。まあ当たり前か。お化けが怖くない人はお化け屋敷に興味など持たない。怖いから見たいのだ。 そもそもお化け屋敷は何が怖いのか。お化けの正体が電気仕掛けの人形か、アルバイトの大学生であることくらいは知っている。つまりお化けではなく、いつ、どこで、何が現れるのか分からない通路が怖いのだ。 これらのねじれた法則に気付かないと、ホラー映画は失敗する。霊が画面に登場する瞬間だけではなく、その前のシーン(通路)も重要なのだ。よく使われる手法は、極限まで不安をあおって霊が登場したと瞬間的に思わせて、でもそれは霊ではなかったと安心させ、次の瞬間に登場させる手法だ。リセットしたばかりだから、衝撃はさらに大き

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    ken-ne86 2020/07/28
  • 『竜馬暗殺』は社会の支持を失った左翼運動へのレクイエム

    <革命成就を前にして志半ばで暗殺される竜馬に投影されたのは、反体制や左翼的運動を標榜しながらドキュメンタリーを撮っていた製作陣の哀愁か> 1960~80年代に日アート・シアター・ギルド(ATG)という映画会社があった。ベルイマン、ゴダール、トリュフォーなど決して商業的ではない監督たちの作品を配給し、大島渚や吉田喜重、寺山修司などアート系の映画製作も支援。直営館のアンダーグラウンド蝎(さそり)座やアートシアター新宿文化で上映していた。 1970年代後半、安部公房の小説を勅使河原宏が映画化した『砂の女』を蝎座で観た。砂の穴に住む女と穴から逃げようとする男。これが初めてのATG体験だったはずだ。その後もATGの映画は何も観ているが、直営館の後は名画座で上映されることが多かったので、蝎座や新宿文化で観たかどうかは思い出せない。1974年公開の『竜馬暗殺』もそのひとつだ。 主演は原田芳雄。他のキ

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    ken-ne86 2020/07/20
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