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modernismに関するken_c_loのブックマーク (3)

  • 日本に「明治維新」は再びやってこない - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    今年の NHK の大河ドラマは、坂龍馬が主人公らしい。そのせいか「私は坂龍馬になりたい」とか言う政治家が出てきたり、龍馬の話題で日はなかなかにぎやかなようである。私は、歴史小説家の司馬遼太郎のファンで、彼の作品「竜馬がゆく」は昔からの愛読書であった。 幕末の志士たちの、自己の利害を超えた清々しい生きざまは、多くの日人たちを魅了してきた。いまの日の経済的・社会的危機を幕末になぞらえ、ふたたび「明治維新」の出現を期待する向きもある。 だが、残念ながら、このままでは日に「明治維新」はやってこないだろう。 なぜか。 明治維新というは、一見狂った運動である。なぜかといえば、支配階級である武士たちが、自らその存立基盤である封建社会を破壊してしまったからである。(実際、そのことに不満をもった旧武士階層が、西南戦争を起こすに至るのだが) そこには「天皇こそが日の正当な統治者である」と主張する

    日本に「明治維新」は再びやってこない - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
    ken_c_lo
    ken_c_lo 2010/03/16
    新しい物語は、個がそれぞれに作るものという気がしている。架空の大きな物語はもう出てこないんじゃないかなぁ、それだけ個の強度が試される時代かも。
  • 増子化対策 - 内田樹の研究室

    共同通信の取材。 テーマは少子化・未婚化・婚活。 同じテーマで何度もしゃべっている。 同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基的なことなので、繰り返す。 「少子化問題」というものは存在しない。 例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。 その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。 そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。 「親族を形成する」というのは人間が人間である基礎条件の一つだからである。 それは「労働する」とか「言語を話す」ということとほとんど同レベルの「当為」である。 「最近、みんな労働ないので、困ったものだ」というような悠長な

    ken_c_lo
    ken_c_lo 2009/09/14
    モダニズムの終焉を包括的にうまく言語化してる。全ては必然だったと言われるとしっくりきすぎて逆にちょっと不安になるけど、面白い!
  • 1大きな物語の終焉 奥野卓司さん 日経 | なんでも好奇心

    現代の社会科学では、「文明」のような「大きな物語」が、論じられなくなっている。最初に大きな物語の終焉(しゅうえん)を唱えたのは、フランスのポストモダン哲学者、J・F・リオタールだった 代わって出てきたのが「小さな物語」。個々の人々の日常生活の行動、発言を読み解くことで、社会や文化を論じようとする傾向だ。 どんな未来でも、現代にその予兆がある。だが、変化が連続的なものでなく、一人ひとりの人々の生活の中に潜んでいるので、アンケートのような量的分析を厳密に行っても、調査時点、つまり未来にとっては「過去」の事実を追認するにとどまる。 「神は細部にやどる」と最初に言ったのは欧米人だが、実際に、田の神、山の神、家の神など、生活の中に多くの神様を見つけ出したのは折口信夫ら民俗学者だった。この民俗学的な方法でこそ、現代の社会の中に潜む未来の予兆をかぎとることができる。そしてその「細部」とは、中心街から一駅

    1大きな物語の終焉 奥野卓司さん 日経 | なんでも好奇心
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