タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

peaceに関するken_c_loのブックマーク (2)

  • ダライ・ラマ法王の苦悩 | 田口ランディ Official Blog

    チベットの独立、それこそがダライ・ラマ法王の切なる願いだろう。 自分たちの国が独立できない、ということの苦悩。想像しようとしても私の想像力では追いつかない。 対立のない世界を願うダライ・ラマ法王をめぐって、すでに対立が起きている現実。 ところで、ダライ・ラマ法王は「仏教のひとつの頂点」に立っているのか。 仏教の多様性を考えると、それは少しばかり偏った見方にように思えてならない。 「ダライ・ラマ法王14世と日の学者4人の対話から未来が見える」 このイベントは友人が運営に協力しており、友人からの依頼でブログにアップしている。 しかし、残念なことに私はこの日、イタリアに出張中で傍聴することはできない。 パネリストは皆、とても著名な方々である。有意義な提言がされるだろう。そしてたぶん、想像するにそれぞれの方たちはおおむね、未来のあるべき地球について、それほど努力せずとも合意できる方たちであろう。

    ダライ・ラマ法王の苦悩 | 田口ランディ Official Blog
    ken_c_lo
    ken_c_lo 2009/10/26
    「なぜ共鳴できる人たちとのみ共鳴するのか。/ いかに対話できないかを知るべきなのじゃないか。」
  • 活動報告「シエラレオネ~忘れられた内戦」

    4.内戦への過程 4-1 解放奴隷クレオールとシエラレオネ 16世紀後半にはイギリスの奴隷商人がシエラレオネに来る。しかし18世紀末にイギリスの奴隷解放論者が奴隷解放を開始し、1787年に解放奴隷をシエラレオネに入植させた。大西洋で開放された奴隷はクレオールと呼ばれた。 イギリスはこの地を西アフリカ植民地政策の拠点とした。1827年にイギリスは後に国立シエラレオネ大学となる学校を創立。ここでクレオールは学び、官吏や企業家などとしてアフリカ各地のリーダーとなった。またクレオールはキリスト教に改宗した。 第一次大戦後クレオールを主導者として民族独立運動が起こり、1961年に独立を勝ち取ったが、その後40年間、国内の民族間の紛争という悲劇が続くことになる。 4-2 三集団の対立構造 *クレオール 地域:首都フリータウン周辺 宗教:キリスト教 組織:シエラレオネ植民地国民会議(NCCSL) 特徴:

  • 1