2014年8月4日のブックマーク (1件)

  • 成熟は「場」や「イベント」にではなく「個人」に宿る - シロクマの屑籠

    ビューティフルドリーマーのいなくなった時代、あるいは、はてな村netcraftさんについて - 行乞記 - 断片部 id:nisemono_sanこと似非原さんが書いた成熟についての文章を読み、何かがイラっとした。「成熟」の捉え方について大きなギャップがあるようにも思えた。同じ語彙を共有していても、託している意味が異なれば、議論は成立しない。しかし、私なりの成熟の定義を挙げたうえで所信を述べれば、なにか伝わるものがあるかもしれないので、書いてみる。 「成熟」。 曖昧な言葉だ。goo辞書を引用すると、 せい‐じゅく【成熟】 1 果物や穀物が十分に熟すること。「稲が―する」 2 人の心や身体などが十分に成長すること。「―した肉体」 3 その事をするのに最も適した時期に達すること。「機運が―するのを待つ」 となっている。 私が考える【成熟】は、2に近い。かつて、ブログ上で脱オタ/非モテ論議をや

    成熟は「場」や「イベント」にではなく「個人」に宿る - シロクマの屑籠
    ken_kawamura
    ken_kawamura 2014/08/04
    個人という意味では、やはり成熟アジテーターからakb畑のキャッチャーへ変貌した宇野常寛氏(元エントリに登場する)の経年変化と整合性をどう評価するのからへんを、機会があればいずれきいてみたい。