いつの時代も…… 建築史をひも解けば、国や時代の記念碑が実現するまでの有為転変、右往左往は、今も昔も変わらない(12月22日、2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の設計・施工案で選ばれた“A案”の建築家、隈研吾ら) Yuya Shino-REUTERS 国や時代を象徴する記念碑的建築を、"自分こそ"と自負する建築家たちは、取りっこを繰り返してきた。 たとえば、明治二九年竣工の日銀本店はどうか。御雇外国人建築家にもっぱら頼んできた記念碑を初めて日本人建築家に託そうと明治政府が考えた時、まず名の挙がったのは辰野金吾ではなく山口半六だった。山口は大学南校を出てフランスに学び、帰国後は文部省に入り、大学や高等学校を手掛け、文部省内のランクは、森有礼大臣に続きナンバー3の地位にあった。 山口に分があった。にもかかわらず辰野に指名が下ったのは、当時日銀を仕切っていた高橋
建築に関する「LEAF Award」(リーフ賞)という賞をご存知ですか? ヨーロッパ主要建築家フォーラム(Leading European Architects Forum、LEAF)が運営している建築デザインの発展を目的とする国際建築賞です。 実は、そんなリーフ賞の2015年度大賞に選ばれた建物が日本にあるんです。 (c)Bella Vista Spa&Marina ONOMICHI その世界が認めた建築物は、「ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道」の敷地内にある、2014年1月に完成した白いチャペル。広島県の瀬戸内海を見下ろせる小高い丘の上に、凛と佇んでいます。白い2本のリボンが絡み合っているような姿から、「Ribbon Chapel」(リボンチャペル)と名付けられました。 リボンのようなバージンロード (c)Bella Vista Spa&Marina ONOMICHI 建物の中から上を
建築家・村野藤吾。 実は凝っていた尼崎市役所 村野藤吾さん設計 「外観損ねないで」と耐震工事で建築学会支部が要望書 - 産経ニュース sankei.com/west/news/1512… @Sankei_newsさんから
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