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いじめと読み物に関するkenjeenのブックマーク (8)

  • Something Orange -  傷口に包帯を。

    少なくとも、今まさに自分は価値の無い人間だ、自分の人生は無意味で辛いものでしかないという自己嫌悪感と戦っている人間には、自分で自分を受け入れろという言葉は、ある種の「切り捨て」でしか無いと思う。とりあえず、kaienさんがどうやって自己嫌悪感から抜け出したか、その経緯を知りたいです。 ――「「不幸」と「幸福」と」 聞きたいですか? ま、べつに話してもいいんだけれど、長くて暗くて退屈な話だよ。それに、まったく、自分でもうんざりするくらいよくある話でもある。 ぼくはふだん、日記では自分語りはしない。だって、仕事で失敗して怒られただの、今日の夕飯はチキンカレーだっただの、そんなことを書いてもおもしろくないだろうから。 ぼくの日記はエンターテインメントである。読んだひとがおもしろいと思わないだろうことを書く気はない。 ただ、まあ、今回は特別に自分のことを書いてみることにしよう。たまにはいいだろうし

    Something Orange -  傷口に包帯を。
  • Latest topics > いじめと復讐 - outsider reflex

    Latest topics > いじめと復讐 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « MDCの翻訳 Main もしFirefoxがもっと多くのユーザに利用されることを目指しているのなら » いじめと復讐 - Oct 31, 2006 リファラで知った話。 こないだの福岡でのいじめ自殺加害者がぜんぜん反省してない、というニュースに端を発するスレ 少年犯罪の加害者「首切少年A」が、少年であるということで厳しい刑罰から免れ、大人になって弁護士になり勝ち組になっている、その一方で被害者への補償はしていない、という話に端を発するスレ ここまでだと「子供のうち犯罪行為をやって、大人になったら更生して、それが勝ち組ってやつだ」という以前にも書いた話の内

  • いじめとはシーツによった「しわ」のようなもの - 新しいTERRAZINE

    福岡の中2男子の自殺事件が教師がいじめに加担していたこともあり話題だ。いじめの原因はいろいろあるだろうが、いじめられて自殺するのは100%自殺した人に責任がある。教師が殺した、いじめた同級生が殺したなんて言うのは、死者への冒涜である。いじめられた上、自殺すら自分の意志ではないと否定されたら、当に生きていた意味がないではないか。死んでまでいじめることはないだろう。 子供は自分の事は耐えられる。しかし親の事は耐えられない。 虐めで自殺ってやるせないなあ。家族って気付かないもんなんだよなあ。僕の姉も小学生の頃、虐めにあっていたらしいんだけど、僕は全く知りませんでしたから。一歳違いで同じ学校に通っているのに、ずっと知りませんでした。家族の誰も、虐めについて知りませんでした。 被害者って、家族に心配をかけないように、虐めの事実を隠すんだよね。 確かに彼は、付き合っていた彼女に「男やけん、大丈夫、

    いじめとはシーツによった「しわ」のようなもの - 新しいTERRAZINE
  • 分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 

    いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうの補足。 実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。 たとえば、シロクマさんが挙げるいじめのメリット: ・クラス内において自分達がボス集団であることの誇示 ですが、ボス猿にもいろいろ種類がいると思うんですね。 もちろん、「自分に逆らった者を容赦しない」、というところまでは、ほとんどのボス猿がやると思いますけど、「卑怯な弱い者いじめを繰り返す」というのは、別の話であって、それをやるかどうかは、タイプによって違ってくる。 で、卑怯で陰湿な弱いモノいじめを繰り返すようなタイプのボス猿は、実際には、やっててあまり「おいしく」ないと思うわけですよ。 そもそも、「自分よりも明らかに弱い者に、卑怯で陰湿ないやがらせをして優越感を味わう」と

    分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 
  • Tritsch-Tratsch - 心のノート

    憎しみの感情で断罪しないなどと書くと、偽善的である批判されたり、人は憎しみなどの感情によって心が動かされるという意見もあったりするわけです。何を言っているのかと思います。憎しみの感情を持たない人と言うのがこの世にいるのでしょうか。そういう人がいるとしたらぜひお目にかかりたいものです。そんな自明のことを今さら良いとか悪いとか論じても埒があきません。 重要なのはどうするのが全体の利益に適うかということです。憎しみの感情のままに行動して、得をするならそうすればいいでしょう。しかし、私は誰かが一人勝ちするのは気に入りません。誰かに一人勝ちさせるくらいなら、自分の多少の得を無視しても阻止します。憎しみの感情で以って行動されて、思いもよらぬことで憎しみを買い、命を奪われては堪りません。自分が憎しみの感情で以って行動して、その結果に誰かを不幸に落としいれ、憎しみを買うのも損なのです。 学校では道徳と言う

  • 自殺しなかった男 - umeten's blog

    中学一年の二学期。 基的に他人を信用しなくなったのはこのときからだ。 感情とは他人に見せるものではないと学習したのもこのときだ。 自分の喜怒哀楽の全ての操作を他人の手中に奪い去られるなど、 自分の喜怒哀楽の全てが他人の意のままに「笑い」にされ「怒り」にされ「慰みものにされる」など、 まともな神経を持つ人間であれば、それはおよそ耐えられるものではない。 自衛するためには、自分自身を守るためには、相手が誰であろうと決して感情を顔に表して見せないこと。 感情というものを全て否定し自分の中から消し去ること。 それが最善にして唯一の防衛策だった。 他人は信用できない。 絶対に信用してはならない。 信用した瞬間に自我が他人の手中に奪われ、時と場所を選ばず永遠に嬲り者にされる。 それが真実だった。 ぱっと見サワヤカな人間こそが最も疑わしいという原則を見出したのもこのときだ。 それはクラスの中心ではなく

    自殺しなかった男 - umeten's blog
  • 10年後の私は、今の私に何て言うんだろう - furamubonのブログ

    「物欲BLOG」:元いじめられっ子は覚えている(id:mu-gi:20061109:p1) を読んで思い出した小学校時代。私には普通に友達もいたものの、クラスメイトや近所の子達から、何かやるたびに笑われたり、ちょっと個性的な文具を持っていただけで生意気だと言われたり、容姿(どすこい)や言動をからかわれたり、替え歌まで作って小馬鹿にして頂いたりといった感じの日々を過ごしてました。あからさまに仲間外れにされたとか暴力を振るわれたといった事は無く、当時の同級生に聞いたところで、私をいじめてたっていう意識は無いと思いますが、なんていうかまあ「軽く見てもいい」「あしらっていい」「仲間に入れてあげている」存在だと思われてたんだろうなあとは思います。 そんな感じで、受けた行為自体は、親や教師に訴えたりする程の酷いものでは無かったんですけど、当時(記憶があるのは3年〜5年あたり)の私は何度も自殺を考えてい

    10年後の私は、今の私に何て言うんだろう - furamubonのブログ
    kenjeen
    kenjeen 2006/11/12
    「そんな先の事なんざ知るかとにかく今辛くて、この状態がいつか変わるだなんてこれっぽっちも思えねえんだよ馬鹿」
  • ブログちゃんねる:私は少年院に行ってました。

    中学一年の頃、私は虐めにあいました。 初めて受けた屈辱に自分の弱さが大嫌いになりました。 小学生の頃、私は勉強も出来るほうでスポーツもかなり得意でした。 そのためか割りと友達も多く順風満帆といった感じの生活を送っていました。

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