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bookに関するkenjeenのブックマーク (137)

  • 『優生学と人間社会』を読んで - Arisanのノート

    優生学と人間社会 (講談社現代新書) 作者: 米昌平,ぬで島次郎,松原洋子,市野川容孝出版社/メーカー: 講談社発売日: 2000/07/19メディア: 新書購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (46件) を見る 優生学という言葉をはじめて意識して聞いたのは、数年前のことだと思う。 もちろんこの語自体はもとから知ってはいたが、「戦前のこと」であり、おぞましいことだが過去の話であると思っていて、それが現代に復活しつつあると聞いて(実情は、それどころではないわけだが)、奇異の感を抱いたことを覚えている。 このを読むと、「優生学」の過去と現在についてのそうした思い込みは、まったく誤っていたことが分かる。戦後の日社会においても、ずっと「優生保護法」という名の法律が存在してきただけでなく、優生思想は、根的に否定されることのない考えであり続けてきた。 だが、そればかりではない

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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  • 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む

    安部首相のあまりにも不可解なタイミングの退陣表明のあと、ウェブ上ではアメリカ・ブッシュ政権の陰謀とか某カルト宗教団体の陰謀など、「陰謀論」が飛び交っているようです。「陰謀論」は、マスコミではほとんど流れていないという点に特徴があります。逆に言えば、麻生クーデター説のように、マスコミに出ているものは「陰謀論」とは呼べないということです。マスコミにはけっして出ない「真相」があるという信念の背景には、外国やエリート集団や秘密結社や宗教集団や宇宙人などといった、影で社会を動かしている巨大な権力が、政府やマスコミをも動かして「真相」を隠しているのだから、むしろ政府の公式見解やマスコミに出てきたものはすべてまやかしだという信念があります。 「陰謀論」の人気は、誰も全体を見通せなくなっている現代社会の複雑さを一気に単純にして縮減してくれることと、自分だけが「真相」を知っているという自尊心を与えてくれるこ

    小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む
  • 政・官・財に外資も参戦、サラ金金利の激しい攻防 / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社

    「サラ金崩壊」 グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争 井出壮平著 早川書房 2007年3月発行 1575円(税込み) 実に面白いだ。2006年に起きた消費者金融、通称サラ金のグレーゾーン金利撤廃を巡る、業界、官庁、外資、政治家などの駆け引きを、共同通信記者として現場で取材していた著者がまとめたものである。コンパクトにまとまっているが、グレーゾーン金利とは何か。そもそも消費者金融業界にはどんな問題があったのか、誰がどのような思惑でどう動いたのか、結果として何がどうなったのかといった、知りたいことが、十分な密度で記述されている。 わたしとしては、ビジネスマン必読の一冊であると思う。 グレーゾーン金利については、当時マスメディアで何度となく解説されたから、覚えておられる人も多いだろう。 1954年以降、日の貸し付け金利の上限は二つの法律で定められてきた。一つが、出

  • webは「砂の文明」である

    『砂の文明・石の文明・泥の文明』 松健一 松健一さんの著作の中でも、超一級に面白い文明論。 非常に大雑把に言えば、ヨーロッパ的「石の文明」、中東・中央アジア的「砂の文明」、東アジア的「泥の文明」という枠組みを立てた上で、各文明がいかなる性質を持ち、「文明の衝突」なるハンチントン的言説がいかに欺瞞的かを論じ、かつ「泥の文明」における日を考察する、という内容です。 こうした枠組みが模式的であり、十把一絡げ的であるのはもちろんですが、捨象があってこそ思考は進められる以上、仮構であれ「叩き台」を提出することは極めて重要です。加えて、松氏の議論は平明かつ説得力があります。 石の文明とは、「外に進出する力」です。 これは、表土の乏しい土地における牧畜という生活様式に由来します。牧畜は広大な牧草地を必要とし、生産力を上げようとすれば「外に出て行く」しかありません。 また、貧しい土で農作物を得よう

  • Passion For The Future: ぼくには数字が風景に見える

    ぼくには数字が風景に見える スポンサード リンク ・ぼくには数字が風景に見える 円周率22500桁を暗唱し、10ヶ国語を話す天才で、サヴァン症候群でアスペルガー症候群で共感覚者でもある著者が書いた半生記。これらの病は稀に天才的能力を持つ者を誕生させるが、自閉症やその他の精神障害を併発することが多いため、こうしたを書ける人が出てくることは稀である。 まさに天才の頭の中がのぞける貴重な内容。 「ぼくが生まれたのは1979年の1月31日、水曜日。水曜日だとわかるのは、ぼくの頭のなかではその日が青い色をしているからだ。水曜日は、数字の9や諍いの声と同じようにいつも青い色をしている。ぼくは自分の誕生日が気に入っている。誕生日の含まれている数字を思い浮かべると、浜辺の小石そっくりの滑らかで丸い形があらわれる。滑らかで丸いのは、その数字が素数だから。31,19,197,79,1979はすべて、1とその

  • [書評]催眠誘導の極意(林貞年): 極東ブログ

    催眠術にそれほど関心があるわけではないのだが、昨今のマスメディアのヒステリー的な状況やブログの状況などを見ていて、これは一種の集団催眠的な現象ではないのかと思い、つらつらと思い出したようにこのところ催眠術関係のをいくつか読んだ。 このジャンルのは、として読むと奇妙なフカシが多い。しかし、実際には手品・奇術と同じで実技技能的な側面も強く、全体がくだらないと捨てるべき領域ではない。また、なんとなく子どもたちの世界で時折というか周期的に集団催眠現象みたいなことが起きるのも不思議なのだが、最近そういう背景があるのかもしれないニュースにその背景が見えづらくなってきた。 他、NLPの、と言っていいのかエリクソン関連の翻訳書が増えてきているのもなぜかと訝しく思ったり、フロイトについて物思いにふけったり(フロイトはコカインと催眠術から精神分析を打ち立てた)という関心からも催眠術のを読んだのだが、た

  • 汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 この考え方をブログの対話に適用するとどうなるかという話。 専制君主としての「客観性」 「君の(あいつの)意見は客観的ではない」という悪口は、私が若い頃にはよく聞いたが、最近はほとんど聞かない。 日常会話の中でそういうことを言う人が客観的であったことの方が稀であるような気もするが、ともかく「客観的」であることが何らかの権威に通じていた時代の端っこに私は生まれている。だから、その失墜には多少の生活史的な実感がある。 日常会話の中と同様、学問の世界でも「客観的」という価値基準の権威は激しく失墜している。 こので主張されている「構造構成主義」とその中のキーワードの一つである「関心相関性」という概念。どちらも、質的に多義性を含んでいて、いろいろな説明の仕方があるが、私としては「客観性という価値からの戦略的撤退」と位置づけたい。 「構造構成主義」は、現代

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  • 書評 - 「世界征服」は可能か? : 404 Blog Not Found

    2007年06月12日21:45 カテゴリ書評/画評/品評Art 書評 - 「世界征服」は可能か? 間違いなく、岡田斗司夫の多方面にわたる作品の中でも最高傑作。 「世界征服」は可能か? 岡田斗司夫 いや、それどころか書以前の岡田斗司夫作品は、書の下書きにすぎない。「僕たちの洗脳社会」や「フロン」という書籍だけではなく、「王立宇宙軍」や「ナディア」といったアニメも。 いや、「下書き」というより「下っ端」というのがふさわしいだろうか。 書「『世界征服』は可能か?」は、オタキングが、当にキングになる、すなわち世界を征服するとはどういうことを考え抜いた。その知見と結論は、キングの名にふさわしい。 オビより あなたはどんな支配者タイプ? 魔王タイプ (ex.『レインボーマン』の「死ね死ね団」) 独裁者タイプ (ex.『DEATH NOTE』の「夜神月」) 王様タイプ (ex. 『ドラゴンボ

    書評 - 「世界征服」は可能か? : 404 Blog Not Found
    kenjeen
    kenjeen 2007/06/13
  • スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、寛容と自由

    『人権と国家―世界の質をめぐる考祭』 スラヴォイ・ジジェク 岡崎玲子 ジジェクの試論二篇とロング・インタビュー。二目の試論「人権の概念とその変遷」は必読。短いからサクサク読めます(笑)。 インタビューについては色々批判もあるようですし、実際、日語がヘン、ジジェクの言葉を受け止められていない箇所が多々見られる、などの難はあるのですが、岡崎氏の若さと根性、兎にも角にもジジェクのを新書で出した、という功績を考えればお釣りが来るでしょう。 注目すべき点は多すぎるのですが、まずは「寛容さと共存の何が問題なのか」で話題にしたばかりの「寛容」と自由について。 例えば、「共同体により思想や宗教が強制されることは暴力であるが、信仰自体は自由である」といった論があります。わたしたちが暮らしている世界は、建前としてはこうした西洋的多元主義を是とするもので、少なくとも「思想・信条に対する寛容さ」を示すこと

  • 『若者の生活と労働世界』から、湯浅・仁平論考に関して - Arisanのノート

    若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか 作者: 田由紀出版社/メーカー: 大月書店発売日: 2007/05メディア: 単行購入: 6人 クリック: 207回この商品を含むブログ (41件) を見るこのの最終章、『若年ホームレス 「意欲の貧困」が提起する問い』(湯浅誠/仁平典宏)と題された章が、ぼくにはたいへん刺激的だったので、内容を紹介してみます。 なお一部分、ぼくの解釈が混入しています。できるだけ原典に当たってください。 この章では、「意欲の貧困」という言葉が重要なキーワードになって論が展開されている。「格差」や「不平等」でなく、「貧困」こそ今の日の問題である、という言い方は最近よく目にするようになったが、一般にはたいてい心理主義的ないし道徳的に語られる労働に関する「意欲の欠如」という事柄を、その「貧困」の一種として位置づける試みは、はじめて目にした。 一般に「ニー

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  • 第6回 価値判断と認識 - MouRa|萱野稔人、国家|萱野稔人「交差する領域~<政事>の思考~」

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  • ドゥルーズ『記号と事件』――マイノリティについて - G★RDIAS

    記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫) 作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宮林寛出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/05/01メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 92回この商品を含むブログ (78件) を見るアントニオ・ネグリの「どうすればマイノリティへの生成変化は力能をもつのか、どうすれば抵抗は現実の反乱たりうるのか」という質問を受けて。 マイノリティとマジョリティは数の大小で区別されるものではありません。マイノリティのほうがマジョリティより数が多いこともあるからです。マジョリティを規定するのは、遵守せざるをえないひとつのモデルです。たとえば平均的ヨーロッパ人の成人男性で都市の住民……。これにたいして、マイノリティにはモデルがない。 続いてドゥルーズは、「マイノリティは生成変化であり、プロセスである」とも述べる。さらに批判を察知して

    ドゥルーズ『記号と事件』――マイノリティについて - G★RDIAS
    kenjeen
    kenjeen 2007/05/28
    >「遵守せざるをえないひとつのモデル」に「居座り続けようとすること」こそが、マジョリティのマジョリティたるゆえん
  • 子供を可愛いと思わなかった時代

    痛いニュース(ノ∀`):【赤ちゃんポスト】 3歳男児「おとうさんに、『かくれんぼをしよう』っていわれた」 痛ニュで、こんな記事出てたし、昨日はイギリスの子どもとかの話したんで、せっかくなんで、今日はイギリス近代の子ども観のお話。 先日の記事で扱ったように、西欧においては、「子供は無垢で愛すべき存在である」という伝統がそもそも無かった。無論、中には、今のような形で、子どもを愛す親もいただろう。だが、それは少数であったといわざるを得ない。中世における西欧の親達は、子どもを今とはまるで異なる視線で見ていたし、そういった視線は、社会内において、タブーでもなんでもなかった。 何故、西欧の、とくに中世においては、そういう感情を人間はもたなかったのか?そういう話について、簡単にうかがい知れるのが、 こちらの書籍になる。「子ども観の社会史」は近代イギリスの共同体、家族、子どもの変遷について扱った書籍である

    子供を可愛いと思わなかった時代
  • 自由意志、自己決定、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」

    『倫理21』 柄谷行人 柄谷行人「オールドファン」にとってはおなじみのテーマ、というか前にも読んだ気がするのですが、書店でブラブラしていたら文庫になっていたので買ってしまいました。柄谷行人を読む快楽は何と言っても「美文を愉しむ」ところにあるので、何度でも読んだら良いのです。柄谷さんの著書の中でもとりわけ入りやすいトーンなので、大学一年生にもお勧め。 ここでは「ムッソリーニ、人種、自由」で「人種を選ぶ」という形で取り上げた「自由」と「自己決定」について、柄谷さんのお力を借りて再度整理してみたいです。 英米系の倫理学では、自由とは、他人に危害さえ与えなければ何をしてもよいということです。カントがそれに反対したのは、伝統的規範を重視したからではなく、そのことが別に「自由」ではないという理由によってです。自由な選択と見えるものは、実は内的・外的な、様々な原因にもとづいている。つまり、他律的である。

  • 『私的所有論』 - Arisanのノート

    形容する言葉が見つからないようなである。 好きの人には、「まずこれを読め」とすすめたい。そう言っても、おいそれと読み通せるような代物ではないのだが、とりあえず当たってみろとも言いたい。 を読む習慣があまりない人や、何かの事情で読めない、読みにくい人には、このに書いてあること、またこのを読んだことの意味をどう伝えればいいものか、かんがえてしまう。 そんなである。 私的所有論 作者: 立岩真也出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1997/09/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 33回この商品を含むブログ (42件) を見る以下は、ひとつの角度から、書のごく限定された部分、側面だけを紹介する文章。 導入 1997年に出版された書から7年後に出された『自由の平等』というの冒頭で、立岩真也は自分の分配についての主張を『働ける人が働き、必要な人がとる』と簡潔に要約して

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  • ish - 『動物感覚―アニマル・マインドを読み解く』 テンプル・グランディン

  • 劇薬本「子どものねだん」で知る児童買春地獄

    掛け値なしの劇薬、まじめに読むほど気分が悪くなること必至。最悪なことに、こいつがフィクションでないことを意識して読まされる。ふつうの人は読んではいけません。 「赤ちゃんの値段」があるぐらいだから、「子どもの値段」もあるだろうという安易な発想から見つけたのだが、これがスゴい。ヒドい。「人をモノのように扱う」は比喩だというヌルい感覚は吹き飛ばされる。言葉そのままの意味で「モノ以下」。子どもにとっては地獄そのもの。書をタネとした「闇の子供たち」の方が、フィクションである分、ある種の「安心感」をもって読めたが、これはそれを許さない。 「小さな穴」を求めるオトナにとって、子どもの性別は関係ない。従順で、好きに扱え(暴力を含む)、未発達であるがゆえに締まりが良い穴であれば、関係ないのだ。自由を奪われ、ろくな事を与えられず、暴行・暴行・暴行。そして、ちょっと言い表せないような性行為を強要される。H

    劇薬本「子どものねだん」で知る児童買春地獄
  • 現代最重要コミック「シグルイ」 - 深町秋生の序二段日記

    やはり一度はしっかり取り上げておきたい。大人気コミック「シグルイ」について。今日はコミック評。 オチから先にいえば、コミックという枠組みを超えた現代日の娯楽表現の中でもっとも重要な作品の一つだと思う。少なくともコミック史に名を残すモンスターじみた傑作だ。 注目すべきはやはり強烈極まる残虐性だろう。身体が断ち割られ、内臓が露出し、鈍器によって頭がひしゃげ、目玉が潰れる描写が目白押しなわけで、紙から血の臭いが漂ってくるような凶々しさに溢れている。 しかし残虐性も重要なファクターではあるが、この作品のすごいところは、その残虐性を生み出す封建社会と武士道の質をきっちり理解しているところだ。偉そうな物言いだけど。そもそも民主主義の価値観が浸透した最近の日では、なかなかリアルな封建社会の価値観を描いた作品に出会えない。「あずみ」や「バガボンド」や「バジリスク」ももちろん傑作だが、やはりヒューマニ

  • 『ナショナリズムという迷宮』 - Arisanのノート

    ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき 作者: 佐藤優,魚住昭出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2006/12メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (33件) を見る このは、魚住による佐藤へのインタビュー、もしくは問答のような形をとっている。 「歎異抄」とか古い哲学書、宗教書みたいな感じである。 クリスチャン、神学徒でもある佐藤の基的なスタンスは、次のイエスについての言及によく示されているといえるだろう。 国家や貨幣という人ならぬものに人間が押さえつけられることを彼は嫌いました。ユダヤ教の来の伝統でいう偶像だと。人間が人間のつくったものに仕えるというのは偶像崇拝で、最も悪いことだと。だから国家に究極価値をおいてはいけないんだと考えたんですね。何より大事なのは個々の関係性の積み重ねです。そのなかには神との関係もあります。関係性が「すべて」だという

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