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コミュニケーションとネットに関するkenjeenのブックマーク (3)

  • しっぺ返しの戦術を強制発動させてしまう人々 - hikaliの部屋 - 楽天ブログ(Blog)

    March 23, 2007 しっぺ返しの戦術を強制発動させてしまう人々 カテゴリ:カテゴリ未分類 囚人のジレンマという著名な実験があって、その中で最強と言われるしっぺ返し戦術というモノがある。 協調か裏切りかを選ぶゲームで、最初は常に協調を選ぶのだが、相手が裏切った瞬間からその後は常に裏切り続けるという戦術だ。普通に誰もがずるいことを考えずに協調し続けていればみんな幸せになるのだが、誰かが一度でも裏切った瞬間から、その者に対して常にダメージを与え続ける行動をし続ける。 もう当にオン・オフの二種類しかなく、一度オフになったら永久にオンになることはない。 わたしも結構ネット生活は長いのだが、ネットで生存する最良の戦術はこのしっぺ返し戦術であるように思える。もちろん誤解はあるので、オフに切り替える瞬間を図るのは慎重にやるのだが、そのオフに切り替える瞬間に最大限のダメージを与えるように計算する

    しっぺ返しの戦術を強制発動させてしまう人々 - hikaliの部屋 - 楽天ブログ(Blog)
  • くらやみのスキャナー - コンテンツは所詮友達の代替品?

    えーと、最近ぼんやり考えていることのまとめとして、ものすごく抽象的かつ大風呂敷な話をします。人がマンガやを読み、音楽を聴き、テレビ映画を観て、ネットを見る理由は何なのか、という。なんだそれ。勝手に話はすすむ。まずは、単純に快感を得るためだろう。面白いとか泣けるという感覚を味わう。ここで面白いとはどういうことかというのはうっちゃっておく。次に、他人と共通の話題を得るためという、やや不純な動機もあるでしょう。「元々興味は無かったけれど、どーも世間でライトノベルというのが流行っているみたいなので、有名なものを少し読んでみよう」なんていう心情もこれかも。ほいで最後の最大の理由として、友達の代わり・友達と過ごす時間の代わりに、マンガや音楽を消費して過ごすというのがあると思う。そしてその、友達とのコミュニケーションの代替品としての作品・コンテンツの意味合いが、最近変わってきているのではないか、とい

  • まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

    いじめ対策としての異なるチャンネルの確保 いじめが問題になっているが、いかにいじめをなくすか、という論点は不毛なように思う。暴力などの犯罪行為ならいざしらず、無視、陰口などの集団的ないじめは、人間のコミュニティにおいて必然ではないだろうか。誰かを外部へ排他することが内部を形成する条件であるように思う。そしてだれが排他されるかは、偶然であり、だれもが排他される可能性がある。 様々に語られるいじめ対策の中で、比較的有効だろうと思ったのが、学校のクラスなどの小さな世界に埋没せず、異なるチャンネルを確保しようというアドバイスである。 自意識は1回性に支えられる 多くの悩みは他の人からみるとなんてことはない。なんでそんなことぐらいで、悩み、極端には死を選ぶのだろうかと思う。その程度のことは誰もが経験することで、そのうちなんとかなるよ。そんなに思い詰めない方がよい、と考える。 ここにあるのは、1回性と

    まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか
    kenjeen
    kenjeen 2006/12/21
    「情報が人生そのものを既視現象にする」
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