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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (24)

  • なぜニコニコ動画はオタク臭いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ニコニコ動画のオタク臭 ニコニコ動画とYouTubeの動画ランキングを比べて、ニコニコのオタク臭はなんなんだろうか。 ニコニコ動画ランキング http://www.nicovideo.jp/ranking/mylist/daily/all YouTubeランキング http://jp.youtube.com/browse?s=mp 動画コンテンツの難しさ ボクはセカンドライフは失敗するといった。みな円滑で猥雑なコミュニケーションをのぞんでいるのになぜいちいちアバターにならなければならないのか。唯一の可能性は新たな貨幣交換市場としの楽しさだったが、語られた長者神話も噂の域をでなかったようだ。 そして動画サイトも失敗すると考えていた。確かにYouTubeは爆発的にヒットしたがそれでもしょせん著作権を侵害し、マスメディアに依存するかぎり、かつてのナップスターのように、規制により叩かれ縮小するしか

    なぜニコニコ動画はオタク臭いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ亀田家バッシングは薄気味悪いのか 炎上化する社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    新たな「世論」の力への気づき 亀田バッシングを見ていて感じる薄気味悪さはなんだろう。処罰をこえて、人格攻撃にいたる人々のヒステリックさ。その人格はいままで魅力であったところそのものである。最近、バッシングが途絶えることがない。安部首相と大臣、朝青龍、沢尻エリカ・・・ ボクもなにか不条理なことを知ると、ネットで騒ぎにして、マスコミで取り上げられることを期待してしまう。そこには「世論」が世を正してくれるという期待がある。世論は最近起こったことではないが、新たに人々が「世論」の力に気がついたのが、イラク人質バッシングや小泉支持あたりではなかっただろうか。あの辺りから人々の中で騒ぐことが力となるという漠然とした意識が芽生えたように思う。 この「世論」の新しさは、ネットのインタラクティブ性という技術に関係しているように思う。人々の反応を迅速に表示するという応答性の速さは、人々の興味を短期で一点に集中

    なぜ亀田家バッシングは薄気味悪いのか 炎上化する社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ科学技術は死を溶解するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    死刑の自動化 アメリカ映画で電気椅子による死刑執行場面があった。スイッチが数個ならび、それぞれの前に執行人が立ち、合図とともに一斉にボタンが押され、電気椅子に電気が流れ、刑が執行される。この意味は誰が実際に電気をオンにしたのかわからなくすることにあるのだろう。 執行人は死刑囚になんの思いもないし、ただ仕事として執行しているだけだ。しかし実際に自分がスイッチを押し、人が「殺す」という体験は簡単なものではない。質的に他者の生を奪う行為は神の領域であり、その負債は人間が背負えるものではない。 最近、法務大臣が死刑の承認を「法務大臣が絡まなくても自動的に(執行が)進むような方法を考えたらどうか」と発言し波紋を広げているが、これも同様な問題を含んでいる。*1 代替不可能な死 このような死への神性は虚構であるといえるだろう。しかし人の死と動物の死の違いは生物学的な差異ではなく倫理的な差異でしかない

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  • なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 純粋贈与と、贈与と、交換 2 貨幣への負債感 3 科学技術−国家(法)−貨幣 4 貨幣交換世界の正当性 5 神々の闘争 1 純粋贈与と、贈与と、交換 幸運と神 たとえば宝くじで10億円当たってしまうと、どのような気持ちになるのだろうか。それは飛び上がるほどのうれしさであるとともに、不安になるのではないだろうか。無償で大金を贈与されることの罪悪感がともなうだろう。 このために宗教への帰属とは関係なく、漠然と神に感謝するだろう。それはこの罪悪感(負債感)を解消するために必要な返礼する他者を想定する。神へ感謝することで返礼する。あるいは慈善団体へ一部寄付することもあるだろう。また知り合いに祝儀を振る舞うだろう。 これはつゆ払いであるとともに、負債感の解消行為である。このような散財による贈与は、神=超越的な他者への返礼であり、負債感の解消である。これは迷信のようなものであるだけでなく、経済的な

    なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜお金がすべてなのか(仮) その4 貨幣交換世界の正当性 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    経済学的貨幣交換世界はどこにあるのだろうか 古典派ないし新古典派経済学においては、純粋状態とも呼べる経済システム像が構想された。すなわち経済主体とは自律的「個人」であり、そうした個人が「利己心」をもって「市場」で取引をするなかで「神の見えざる手」(スミス)の力によって、需要と供給の「均衡」がもたらされた。「需要」はそれをちょうど均衡するだけの「供給」を生み出した(セーの法則)。財市場だけでなく、貨幣市場や労働市場でも、つまりすべての市場で同時に均衡した(ワルラスの一般均衡理論)。個人は「商品」あるいは「財」について「効用」をもち、自分の効用を最大化に関して、「合理的」に行動し、市場の均衡点においてその集積である「社会的厚生」が最大化された(特にピグーの厚生経済学)−。 こうした市場について考え方は、まず基的に、快楽の量は計算可能であるとするベンサムの功利主義思想に基づいているといえる。こ

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  • なぜ資本主義社会では「ひきこもりながら」生きることがめざされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    動物化した主体の他者回避 動物化した主体の形成は、成長過程における「父」の機能の弱体化に特徴があるだろう。社会的な価値観が維持されないなかで強い「父」の機能が働くなくなっているという、社会的規律教育という去勢の不十分。これは、「大きな物語の凋落」と呼ばれる。 去勢によって習得する社会性は、他者との関係において、どのような状況で、どのように振るまうべきかという儀礼であり、それでも協力していかなければならない他者との間の緩和装置として働いていた。 だから去勢不全において社会的な規律、儀礼の習得が未熟な主体は他者とのアクセスに多大な負荷を感じる。なぜなら他者とはそもそもにおいて、不確実な存在であるからだ。すなわち動物化した主体は他者回避が大きな特徴となる。 動物化と資主義の密接な関係 それでも主体が主体であるためには、他者からの承認が必要とされる。このための動物化した主体の承認は、「他者」と異

    なぜ資本主義社会では「ひきこもりながら」生きることがめざされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜオタクは現代をたくましく生き残れるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    情報過多による無気力と退避 子供は現実的な情報が少なく、突拍子もない様々な物語を作り出す。親はそこに適切な情報を与えることで、社会への順応性をつけさせる。しかし過保護による過剰な情報提供は物語る力を阻害する。物語は未来へと生きる力の源泉である。そしてまた折り合いをつけながら、物語と現実の間を生きることで、生きる持続力を養う。このために安易な情報提供は、物語ることを挫き、「結局人は死ぬんだから」という相対主義的な無気力、あるいは現実との衝突に耐えられず物語への退避し、現実から逃避する。 このような問題は、過保護な子供だけでなく、情報社会の問題である。情報化社会では大量の情報は失敗することのリスク回避に役立つが、人々が物語ることを困難にする。このために、生きる力と持続力を弱めて、人は安全な予測可能性の殻にに閉じ込もり、自ら動くことが恐くなる。 「癒し」の不健全さ このような情報過多の閉塞では、

  • まなざしの快楽 - なぜ消費は減算で愛は加算なのか

    「怒りオヤジ3」 それぞれ問題を抱えつつも、一人では脱却できずに、世間からは「ダメ人間」の烙印を押された者たち。そんな彼らに芸能人が愛のお説教をし、広く日の世直しをする!史上初の一般応募型叱られバラエティ『怒りオヤジ3(さん)』。 彼氏が4人もいるという浮気性女に、当の愛を涙で語った出川哲朗…35歳の無職ニートに、大声で喝を入れた阿藤快…中絶してもヤリまくるバンバ女を、母の心で包んだ松野明美… 「怒りオヤジ3」 http://www.tv-tokyo.co.jp/ikarioyaji3/ 「怒りオヤジ3」という深夜番組があります。「ダメ人間」をタレントが説教する。しかしその「ダメ人間」のダメさも筋金入りで、「なんでダメなの?」と開き直り、タレントがしどろもどろすることがおもしろい。 その中で最近、気になった「ダメ人間」が、ショタコンの二十代の女性です。10代の男が好きで、何人かを囲って

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  • なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜウェブは資主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資主義社会の前提は、資が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資家だから、資の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資家と労働者を区別している「資」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ

    なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 日本はなぜ技術立国として生き残るしかないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    消費社会から環境資源の時代 NHKの番組で、マグロを確保する商社マンのドキュメンタリーがあった。国際的に飛び回り、各国でマグロを確保するのであるが、中国経済の発展とともに、中国人のあいだでもマグロのおいしさが認知され、マグロが中国市場に流れ込み、日分の確保が難しくなっているということだった。ここでは環境に考慮した漁獲量の制限などの環境問題も絡んでくるのだろう。「将来日人はマグロをべられなくなるのか」ということである。 また最近、ニュースで良くでるのが、下水のフタ、ケーブルなど様々な金属製品の盗難である。これは、ここ最近の金属材料の価格高騰からきていると言われる。これもまさに先進国中心の「消費社会」からグローバルな「環境資源の時代」への以降を象徴している。 世界的な資源パニック 来、石油を代表とする資源は、保守的な国家間の枠組みと資源供給メーカーによって動かされ、市場においても「固定

    日本はなぜ技術立国として生き残るしかないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「ネットイナゴ」はネットをめざすのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    アーキテクチャー化によって抑圧した「感情」はどこへむかうのか ボクは「「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処される」と言った。*1ボクたちは「アーキテクチャー化」を歓迎している。社会的な関係がドライになること、そして貨幣価値のもとに「平等」であること。しかしこのようなアーキテクチャー化を歓迎しながらも、それだけでは耐えられない。 そしてアーキテクチャー化の反動として抑圧した「感情」が浮上する。アーキテクチャー化が進むから、反動で「感情」が浮上する。また「感情」が浮上するからアーキテクチャー化が歓迎される、という相補的な関係で働いているといえるだろう。 ではこの抑圧した「感情」はどこに向かうのか。たとえばリアリティがます映画ゲームなどヴァーチャル技術によって、身体的な興奮が与えられストレスが発散される。また「癒し」を求め、「かわいい」への傾倒である。少女たちの「かわいい」好き、オタク

    なぜ「ネットイナゴ」はネットをめざすのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか

    「感情労働」時代の過酷 以下の「「感情労働」時代の過酷」の記事は現代の傾向を象徴しているのではないだろうか。 「感情労働」時代の過酷 (AERA:2007年06月04日号)  http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html 看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。・・・平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。・・・そしてここにきて、この「感情労働」があらゆる職種に広がり始めている。 ・・・「ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えま

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  • なぜ「社会のアーキテクチャー化」が進むのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「社会のアーキテクチャー化」とは 「社会のアーキテクチャ化」とはなにかといえば、たとえばかつては犯罪をしてつかまると、犯罪ドラマにあるように警察につかまった時点で「物語」は終わり、犯人は観念し反省します。ここでは犯人自身にも自分が間違ったことをしていることが共有されています。 しかし実際はそこにで終わりではなく、裁判によって刑が確定するまで、罪になるかはわかりません。そして最近の米国の裁判のように優秀な弁護士をやとえば、殺人さえも無罪になる可能性もあります。あるいは、最近では少年法で短期で許されることに自覚的に犯罪をおこす少年にも現れています。 このような傾向は、金持ちが徳をするだけ、法の穴をつく卑怯な行為ということだけでは語れません。法は完全なものではなく、それを社会的な規範や、信頼関係で補完されるものでしかりません。そして規範や信頼というのは漠然としてみなこれが当たり前だろうという場の

    なぜ「社会のアーキテクチャー化」が進むのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ネットはネオリベラルなグローバリズムを欲望するか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    主義的な金銭経済とネット上の非金銭経済の対立 ボクは、ネットのラディカルさは、無法地帯にあるのではなく、贈与を中心に経済が形成されて、非資主義的な力、資主義的経済に対する「神的暴力」を持つことだといった。ここには、資主義的な金銭経済とネット上の非金銭経済の対立がある。確かに著作権も問題などで、このような問題が顕在化しているが、質的な問題を忘れているのかもしれない。 2ちゃんは匿名だから、実社会よりも、社会的な拘束から解放されやすいのは確かですね。社会的な関係(象徴的関係)の抑圧が弱まる。その結果として重要なことは、好き勝手できるというよりも、想像関係(愛憎)が表出しやすいということでしょう。・・・より簡単にいえば、誰かのためになにかをしたいということが加速されてしまう。 Winnyなどでコピーが出回るのは、だれも資主義的な秩序としての著作権システムを解体させる反(資主義)社

    ネットはネオリベラルなグローバリズムを欲望するか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    小さな屋の密やかなコミュニケーション ボクは屋が大好きで屋を見るとつい入りたくなるし、精神的にまいったときなど、大きな屋にいってブラブラしてると落ちついたりする。小さな屋は売れ筋のものが店頭の前面を占めていて、どこでも同じように感じるが、色々な屋に行くとそれぞれに特徴があることがわかる。それはビジネス街の屋にはビジネス書が多くあるというような地域性以上に、なぜこんな小さな屋にこんながあるんだろうというものである。 なぜか精神世界系のが多い屋、あるいは何らかの傾向を持った哲学系のが並んでいる屋など。屋がどのようなシステムで運営されているか知らないが、それが小さな屋のささやかな個性なのだろうか。こんなところでこんなマニアックなは売れないだろうと思うと、誰が買うのか売れていたりする。マニアックなを置き、ささやかに自己主張する屋さんと、それを買う常連客の間に密か

    ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ

    ①「モンスターハンター」はなぜおもしろいのか 「モンスターハンターポータブル 2nd」(ASIN:B000GWKY9Y)にはまっている。リアリティあるグラフィックのモンスターと格闘し狩るというこの興奮はなんだろう。モンハンはアクション性が強いゲームであり、RPGのように続けるうちにキャラクターの経験値が上がり強くなるのではなく、経験はプレイヤーの操作の熟練に求められる面が大きい。キーの操作やアイテム使いのタイミングなど、プレイヤー自身の条件反射的な上達が求められる。だから格闘中はまわりが見えなくなるほど画面に集中し、体が緊張し、興奮する。 しかしこのような「身体的な没入」とは別に、人はかならずこの状況を俯瞰するメタ視線がある。鏡をみてそれが自分であると認識できるように、どんなにヴァーチャルなリアリティが向上しても、これがゲームという「劇」であることを忘れることはない。そしてゲーム機の中の「

    まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ
    kenjeen
    kenjeen 2007/03/04
    予測可能性の壁」へ引きこもる退屈な日常の解放を、「安全な危険」に求める。
  • なぜ人はポスト・ヒューマンの夢を見るのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「特異点(Singularity)」 NHK-BS「未来への提言」の発明家レイ・カーツワイル(http://www.nhk-jn.co.jp/002bangumi/topics/2006/052/052.htm)はおもしろかった。情報技術が毎年2倍ずつ成長していることをベースに、2045年には人類全体の知能の10億倍の能力を持った人工知能が登場し、人間が制御できなくなる可能性のある未知の領域=「特異点(Singularity)」に入ると言います。ボクはまだ読んでいませんが、最近「ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき」(ASIN:4140811676) が刊行されています。 技術的特異点 彼らは科学技術の進展の速度が人類の生物学的限界を超えて意識を解放することで加速されると予言した。この意識の解放は人間の脳を直接コンピュータネットワークに接続することで計算能力を高める

    なぜ人はポスト・ヒューマンの夢を見るのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「プロシューマー(生産消費者)」と非金銭経済 「BS特集 未来への提言スペシャル 未来学者 アルビン・トフラー “知の巨人”との対話」を見ました。トフラーの「富の未来」(ASIN:4062134527)はまだ読んでいないのですが、番組の中で「プロシューマー(生産消費者)」というのはおもしろと思いました。「プロシューマー(生産消費者)」とは、ボランティア、趣味で畑仕事、日曜大工をする人、最近では、ネットの群衆知など、DIY(Do It Yourself)型で自分で自分のために労働する人々です。 最近のWeb2.0や、グーグル化の議論はネットに生まれた群衆知をいかにお金にかえるシステムをつくるのか、ということですが、「プロシューマー(生産消費者)」という概念の射程の大きさは、このような従来の金銭経済と並行して非金銭経済という新たな潮流が生まれている。「金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満た

    なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    kenjeen
    kenjeen 2007/01/08
    「非金銭経済での活動が金銭経済に与える影響は、ますます大きくなっていく。」
  • まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

    いじめ対策としての異なるチャンネルの確保 いじめが問題になっているが、いかにいじめをなくすか、という論点は不毛なように思う。暴力などの犯罪行為ならいざしらず、無視、陰口などの集団的ないじめは、人間のコミュニティにおいて必然ではないだろうか。誰かを外部へ排他することが内部を形成する条件であるように思う。そしてだれが排他されるかは、偶然であり、だれもが排他される可能性がある。 様々に語られるいじめ対策の中で、比較的有効だろうと思ったのが、学校のクラスなどの小さな世界に埋没せず、異なるチャンネルを確保しようというアドバイスである。 自意識は1回性に支えられる 多くの悩みは他の人からみるとなんてことはない。なんでそんなことぐらいで、悩み、極端には死を選ぶのだろうかと思う。その程度のことは誰もが経験することで、そのうちなんとかなるよ。そんなに思い詰めない方がよい、と考える。 ここにあるのは、1回性と

    まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか
    kenjeen
    kenjeen 2006/12/21
    「情報が人生そのものを既視現象にする」
  • 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「成果主義と年功序列の“ねじれ”」 「なぜ若手が会社を辞めるのか?」が語られています。そしてその理由として、「成果主義と年功序列の“ねじれ”」が上げられています。 近年、日では年功序列制度が崩壊したと言われていますが、厳密に言うとそれは必ずしも正しくありません。年次管理による結果、平等的な年功序列賃金制度は1990年代に導入された「成果主義的賃金制度」により確かに崩れました。しかし、成果主義賃金制度を導入した企業においても、「昇進昇格制度」は今もなお大半の企業で根強く、年功序列制度に基づいているのです。 年功序列制度のねじれ現象的な変化の結果、賃金は成果主義の名の下に容易に上がらず、昇進昇格は若い限り期待できないという二重の出口のない閉塞感に陥るのでしょう。 若者のその気持ちが分からないではありませんが、年さえとれば給与が上がることを期待するのは、今の時代においては、やはり現実的ではあり

    「なぜ若手が会社を辞めるのか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    kenjeen
    kenjeen 2006/12/13
    企業コミュニティから知識コミュニティへ