本谷有希子さん*1の小説『生きてるだけで、愛』を読んで、人が「労働力(商品)になる」ということは、決して当たり前のことではなくて、実はさまざまな条件をクリアしないと、自分を「労働力(商品)」として実現・維持することは困難な事柄なのではないか、というようなことを考えた。 この小説は、25歳の「メンヘル」(鬱・過眠症)の女性の「精神的に浮き沈みの激しい毎日」を一人称で描いたもので、自分自身が制御しがたい衝動と無気力の束であるような脱社会的な主観性を内側から描こうとした試みだといえるかもしれない。「あたし」(板垣寧子)は、32歳の雑誌編集長・津奈木と3年前から同棲しているが、1ヶ月前に職場のトラブルで「時給九百円のスーパー」のバイトを辞め、部屋に閉じこもって、だらだら寝たり、過眠症の人間が集うネットの掲示板に書き込みしたり、時々食料を買いに出かけたりして過ごしている。津奈木は半年前に編集長をまか