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ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき 作者: 佐藤優,魚住昭出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2006/12メディア: 単行本 クリック: 11回この商品を含むブログ (33件) を見る この本は、魚住による佐藤へのインタビュー、もしくは問答のような形をとっている。 「歎異抄」とか古い哲学書、宗教書みたいな感じである。 クリスチャン、神学徒でもある佐藤の基本的なスタンスは、次のイエスについての言及によく示されているといえるだろう。 国家や貨幣という人ならぬものに人間が押さえつけられることを彼は嫌いました。ユダヤ教の本来の伝統でいう偶像だと。人間が人間のつくったものに仕えるというのは偶像崇拝で、最も悪いことだと。だから国家に究極価値をおいてはいけないんだと考えたんですね。何より大事なのは個々の関係性の積み重ねです。そのなかには神との関係もあります。関係性が「すべて」だという
柄谷行人さんは『世界共和国へ』(岩波新書、isbn:4004310016)でネグリとハートの「マルチチュード」論を批判していた。 今回、読み直してみると、柄谷さんの批判は、ネグリとハートの「マルチチュード」論は、プロレタリア革命論のプロレタリアートを「マルチチュード」に置き換えたに過ぎないもので、その国家廃棄論はプルードンのアナーキズム(柄谷さんは「アナキズム」と書く)の過ちを繰り返すものに過ぎない、ということだ。 しかし、ネグリとハートは、『マルチチュード』で、自分たちの「マルチチュード」観はアナーキズムではないと書いている。 私は柄谷行人やネグリやハートほどものを読んでいるわけでも知っているわけでもないけれど、両方の本を読んでみると、どちらの言い分にも半分賛成で半分反対というところだ。でも、少なくとも柄谷さんの本については、ネグリとハートをまじめに相手にするのであれば、もっとちゃんとそ
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