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ブックマーク / inside-rivers.hatenadiary.org (1)

  • 「リア充 氏ね」のマジョリティ化について。 - 未来回路製作所 Hatena店

    生き方としての「非モテ」、つまり、モテようとすることからおりる生き方自体は、もう普通に市民権を得つつあって(もちろんそれは都市部の中の一部での状況であろうけれども)、でもその生き方を貫くとモテたりして、確かに「非モテ」をアイデンティティとするメンタリティも突き詰めるとかっこいいのだけれども、問題はそのどちらにもいけない人々が実はリアル非モテで、しかもそういう人たちは結構な数がいるようだ、とか。 持たざるものとしての「非モテ」、持つものとしての「リア充」。このプロレタリアとブルジョワジーとの関係のようなわかりやすさ。そのわかりやすさをネタとして消費している感もある。 つまり、それはスケープゴートとして「リア充」を使用しているともいえるのではないだろうか。 たぶん、「非モテ」の生き方というものが一般化して明確な攻撃対象を生み出さない、ということが、マイノリティとしての「非モテ」という言葉が終了

    「リア充 氏ね」のマジョリティ化について。 - 未来回路製作所 Hatena店
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2009/12/26
    「経済的な要因もこの「リア充」をスケープゴートにして憂さを晴らそうとするメンタリティの形成に影響を与えている」
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