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ブックマーク / www.dir.co.jp (3)

  • 総世帯数の5%にも満たない「標準世帯」 2018年07月10日 | 大和総研グループ | 是枝 俊悟

    夫が働いて収入を得て、は専業主婦、子どもは2人の4人世帯——この家族構成のことが「標準世帯」と呼ばれ、家計の税や社会保障の給付・負担などを計算する上でのモデルケースとして扱われることがしばしばある(※1)。筆者も、何らかの制度改正の際には、まずは標準世帯における影響を試算することが多かった。 総務省(当時は総理府)の「家計調査」において標準世帯の調査・集計が始まったのは昭和40年代で(※2)、この頃に標準世帯という用語が一般化したようである。日の世帯を世帯人員と有業者数(※3)で分類すると、昭和49(1974)年時点では、世帯人員が4人で有業者数が1人である世帯が最多で、総世帯数の14.56%を占めた。当時としては、「4人世帯・有業者数1人」こそが標準世帯であり、この世帯における収支の動向が日の縮図を示すと言っても差支えなかっただろう。 しかし、時代とともに世帯構成は変わっていく。昭

    総世帯数の5%にも満たない「標準世帯」 2018年07月10日 | 大和総研グループ | 是枝 俊悟
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/10/18
    2017年の時点で高齢者世帯が3割近くを占めている話もさることながら、昭和末期に単身者世帯が夫婦と2児世帯より多くいた。
  • 交通史観が示唆する市街地活性化の行く末 | 大和総研

    宮城県石巻市は江戸時代から仙台藩62万石の貿易拠点として、また北上川から太平洋への乗換港として発展した街である。中州を挟んだ北上川の両岸には南部藩はじめ北上川流域諸藩の蔵屋敷が並んでいた。地図をみると福岡の中洲、大阪の中ノ島、パリのシテ島、NYのマンハッタンと似た地形である。旧市街地は主に北上川の西岸に広がり、川に並走する道に沿って街割された。山を背に、前面には北上川を向いていた。 明治になってからも水上交通の拠点であることに変わりなく、人や物資が行き交っていた。中州を挟んだ北上川の両岸には内海橋が架かり、これに続く通りは「橋通り」と呼ばれた。橋通りと、これに交差する北上川から一筋奥の通りが当時のメインストリートで、警察署や銀行店が軒を並べた。昭和30年には丸光百貨店が開店した。北上川沿岸の汽船の発着場や河口にあった魚市場から立寄りやすく人の往来が多かった。 街に最初の変化があったのは昭

    交通史観が示唆する市街地活性化の行く末 | 大和総研
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/01/14
    石巻市の事例。
  • 民主化の度合いはどのように評価すべきか | 大和総研

    わが国を含む国際社会では近年、地域の安定と発展には「民主主義」が不可欠であるとの認識が広まりつつある。民主主義的な政治体制を確立することで国民の統治への参加が可能となり、結果として人権の保護が推進される。このように民主主義と人権は密接不可分であるとの考え方から、各地でいかに民主化を進めるべきか、様々なレベルで様々な議論が展開されている。わが国政府も、国連をはじめとする国際フォーラムへの参加や二国間の対話を通じて、世界各地の民主化を積極的に推進してきた。 それでは「民主主義」と呼ばれる政治体制とは、具体的にどのような政治形態を示すものであるのか。政治体制は、その国の法制度や選挙制度、官僚制度、政治文化など、政治に関わる無数の要素の組み合わせから成っており、国の数だけ存在すると言える。各国の政治体制を横に並べて比較することが不可能ともいえる中で、「民主主義である国」と「そうでない国」はどのよう

    民主化の度合いはどのように評価すべきか | 大和総研
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