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_badtitleとexpressionに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • 長谷川豊と維新の会を焼き殺さねば日本が滅亡する - 狐の王国

    タイトルは表現の問題です。 日維新の会 衆院選で長谷川豊氏を擁立へというニュースが流れ込んできてかなり驚いてる。長谷川豊氏といえば透析患者「殺せ」とブログで発言したことで物議をかもしたのだが、あくまでこれを「表現の問題」と捉えてる人が多いことにだ。 長谷川さんが、ブログで伝えたかったのは、健康であるための自己管理の重要性と増え続けつ医療費によって、国民皆保険制度の破綻を回避する事にありましたが、表現が不適切であり多くの人を傷つけました。人間誰しも間違いあります。維新の会は間違いを反省し再チャレンジする人は認めて参ります。— 松井一郎 (@gogoichiro) 2017年2月5日 だが決してこれは表現の問題などではないし、長谷川豊氏は「間違いを反省」どころか何が間違いかも認識してはおられないのである。表現の問題でなければなんの問題だったのか。問題点は2つだ。 数字をろくにみてないこと 健

    長谷川豊と維新の会を焼き殺さねば日本が滅亡する - 狐の王国
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2017/02/07
    内容は誠実なのになんでこういうタイトルをつけるんでしょうかね。
  • どうしてみんな松本人志が映画を作っていると勘違いしているのだろう

    最新作「R100」について、いわゆる松信者、松人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。 わたしも松の天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。 なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。 彼にとっての不幸は、キャリアの初期において来ならば理解困難なそのユニークな感性が浜田という相方の存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか。 彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。 ベストセラー「遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである。 彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えら

    どうしてみんな松本人志が映画を作っていると勘違いしているのだろう
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/10/15
    その「遺書」(正確には週刊朝日での連載)でコマーシャルの過剰な表現規制に憤っていたのを思い出したけど、その辺が映画製作への原動力なのかなぁ。
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