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disscussionに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • Webで誰かを説得しようという試みはたいてい無駄 - novtan別館

    どころか、自分はこう考えている、考え方が違うのは仕方がない、という合意すら得られることはそう多くない。ウェブみたいなオープン環境(それは、目に入ってしまうかもしれないけど、気にしなければよい環境でもある)において、そもそも考え方が違う同士で議論する羽目に陥っている時点でその結論は目に見えているんだけど。 ただ、議論の果てに、お互いの立脚点が違うことに気がつかないで相手を罵倒して去る、というみたいなのは単なるアホか、あるいは絶対正義の化身(つまりバカ)か、どっちかなんじゃないかと思ったりはする。分かり合うことなんてそもそも必要なくて、お互いのポジションを見極めて、落としどころを探るだけで十分だし、それは結論付けなくてもよい。立場上、落としどころを明示することが出来なくても、議論の過程の中で、きっとこの落としどころはここだろう、ということが暗黙的に合意が得られるというのはよくある。 議論の前提

    Webで誰かを説得しようという試みはたいてい無駄 - novtan別館
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2009/12/18
    ははは、私はどうもバカということになるみたいだ。 まあタイトルおよび文意には同意するけど実践できるのか疑わしい。
  • 根拠を述べる重要性 at ブログヘラルド

    4月 1日 at 5:30 pm by クリス ギャレット - ブログを読んでいる時に、ブロガーやコメンターの根拠のない主張を目にすると、とてもフラストレーションが溜まる。 このエントリの序文にも全く同じことが言える。「ブロガーが根拠のない意見を、単に個人的な意見に過ぎないにも関わらず、まるで事実のように述べている場面に出くわすとフラストレーションが溜まる」と綴ることも出来たはずだ。違いが分かってもらえただろうか? 当然ながら、ブログは基的に、人々に「声」を与えるメディアである。ブログを利用することで、大半の国が権利として認めている、意見の共有を実施することが出来るようになる。しかし、意見を持っているからと言って、誰もが耳を傾けたいと思っているわけではなく、また、根拠となる情報がなければ、納得してもらえるなどと思うべきではない。 私はこの問題を、「Because I Said So」(理

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