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heritageとmilitaryに関するkenjiro_nのブックマーク (7)

  • 筑後の明治維新伝える 立花家「錦の御旗」公開 柳川古文書館で企画展 [福岡県]|【西日本新聞】

    柳川市隅町の柳川古文書館で3日、明治維新150年に合わせた企画展「柳河の明治維新」が始まった。柳川藩最後の藩主、立花鑑寛(あきとも)が朝廷から拝領した「錦の御旗」など85点の資料を展示。柳川藩が幕末にどう行動したかが分かる展示内容となっている。 鑑寛は幕府政事総裁職の福井藩主、松平春嶽の実姉を正室に迎えており、じっこんの間柄だった。展示では、京都滞在中の春嶽が京都守護の任を受けていた鑑寛に「ゆっくりと話をしたい。ぜひ来てほしい」などと記した直筆の書状を並べ、両者が政治的立場を同じくしていたことを紹介する。 公武合体と挙国一致を目指し、幕府寄りの立場だった柳川藩だが、幕府勢力が大敗した鳥羽・伏見の戦い(1868年)の後に、新政府軍に参加。京都御所で錦旗(錦の御旗)を拝領し、戊辰戦争では東北各地を転戦し、東京の治安維持も担った。錦旗は横67センチ、縦360センチ。立花家史料館(柳川市新外町)の

    筑後の明治維新伝える 立花家「錦の御旗」公開 柳川古文書館で企画展 [福岡県]|【西日本新聞】
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/10/04
    比喩表現としてはまま聞くけど、錦の御旗そのものは(多分)初めて見た。
  • 戦争ポスターは焼却せよ - 季節の変化

    昭和20年(1945年)8月15日に終戦、 昭和20年9月2日に無条件降伏をした。 「戦争ポスター」は焼却せよ、 と国の決定があって、「戦争ポスター」は焼却された。 焼却されたはずだった「戦争ポスター」が、 長野県の阿智村から135枚が、まとまって見つかった。 長野県立歴史館(千曲市)の企画展、 「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」では、 阿智村で見つかった「戦争ポスター」135枚のうち、 72点が展示された。複製品ではなくオリジナルである。 2012年7月28日~9月2日開催。 「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」のリーフレットから。 焼却命令がでたはずの「戦争ポスター」が、 どうして阿智村に残っていたのだろうか? 「戦争ポスター」が阿智村に残っていた謎は、 阿智村役場を訪れたとき(2012年6月)に、 課長が説明してくれた。ありがとうございます。 「阿智村の原 弘平 元村長が、 保存し

    戦争ポスターは焼却せよ - 季節の変化
  • 「伊400」ハワイ沖で見つかる 世界最大級だった旧日本軍の潜水艦【動画】

    ハワイ・オアフ島沖の海底で、旧日軍の大型潜水艦「伊400」が発見された。3機の特殊攻撃機「晴嵐」を搭載することができ、潜水空母(せんすいくうぼ)のニックネームでも知られている。全長120メートルと、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中でも最大の巨大潜水艦の全貌が明らかになった。

    「伊400」ハワイ沖で見つかる 世界最大級だった旧日本軍の潜水艦【動画】
  • ゼロ戦のタイヤ、驚きの使い道…本当だった言伝 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    県八代市の伝統行事「八代妙見(みょうけん)祭」(22、23日)の神幸行列で市内を回る笠鉾(かさぼこ)「西王母(せいおうぼ)」の台車に、2010年まで約60年間、旧日海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)用の2のタイヤが使われていたことが分かった。 同市内でタイヤが無料公開され、多くの市民が見学に訪れている。 西王母は、古代中国で信仰を集めた女性の仙人で、その姿をかたどった人形が笠鉾の上に立つ。祭りに参加する9基の笠鉾の一つで、同市通町の保存会が保管している。神幸行列では台車に載せ、市内の目抜き通りを練り歩く。 台車のタイヤは1947年に取り付けられたとの記録が残る。保存会には代々、「戦闘機のタイヤらしい」と伝わってきた。約300キロの笠鉾を長年支え続けたが、2010年に1が破裂したため交換された。 今年になって、保存会の松川達也さん(55)が、戦闘機に詳しい福岡県筑前町立大刀洗平和記念館

  • 遺跡の大仏破壊は「過ちだった」 タリバン最強硬派元幹部 / 西日本新聞

    遺跡の大仏破壊は「過ちだった」 タリバン最強硬派元幹部 2012年5月16日 16:02 カテゴリー:アジア・世界 アフガニスタンの旧タリバン政権時代、独自の解釈に基づくイスラム原理主義を適用し、女性を抑圧するなどの恐怖支配を敷いた宗教警察(後の勧善懲悪省)のカラムディン元長官が16日までに、カブール市内で共同通信と単独会見し、2001年3月のバーミヤン遺跡の大仏破壊などについて「過ちだった」と述べた。 カラムディン氏は現在も親タリバンだが、タリバンとの和平交渉を主導するカルザイ政権の「高等和平評議会」メンバーも務める。過去の失敗を認める同氏の発言はタリバンのイメージの軌道修正を図り、和平交渉に向かうための雰囲気を醸成させたいとの思惑があるようだ。(カブール共同)

  • 「なんで戦争したの」 久留米のFM 平和特番 / 西日本新聞

    「なんで戦争したの」 久留米のFM 平和特番 2011年7月22日 01:41 カテゴリー:九州 > 福岡 なんで戦争なんてしたの-。終戦記念日を前に、久留米市のコミュニティーFM「ドリームスFM」が8月12日までの毎週金曜日、大刀洗平和記念館(筑前町)の来場者の声を紹介し、平和について考える特別番組「大刀洗発 平和の願い 明日への手紙」を放送している。同FMの担当者は「身近な平和記念館で市民が感じた思いを発信し、尊い犠牲の上にある現在の平和を考える契機にしたい」と話している。 記念館は、戦時中に特攻隊の中継基地となった旧陸軍大刀洗飛行場跡地に2009年10月にオープン。特攻隊員の手記や写真、実物の零戦などを展示している。同FMが「地元の素材で平和を語りたい」と同館に呼び掛けて連携。昨年は記念館で活動するボランティアの語り部の戦争体験を放送した。 特別番組は7月8日スタート。午後2時1

  • asahi.com(朝日新聞社):虐殺の光景、わが遺言 90歳元兵士「南京大虐殺」証言 - 関西文化・エンタメニュース

    現地の写真を手に、南京で見た様子を語る三谷翔さん(左)と松岡環さん=大阪府内南京入城式の日に行進する旧日軍=1937年12月、中国・南京  日中戦争開始から5カ月後の1937年12月、旧日軍の南京攻略戦に参加した元海軍兵士が、現地で目撃した光景を語る集会が5日、大阪市である。12年前、初めて証言した時は「虐殺」を否定する人たちからの反応が気になりついたて越しだったが、今回は素顔を見せて語る。いま90歳。最後の生き残り世代として「ほんまに見たんや」と伝える責任があるから、という。(武田肇)  大阪府在住の三谷翔(みたに・しょう)さん。37年6月、18歳の時、志願して佐世保の海兵団に入った。同10月、3等水兵として駆逐艦「海風(うみかぜ)」に乗り組み中国へ。揚子江遡行(そこう)部隊として南京に向かった。  三谷さんによると、自分の身長ほどの高さの死体の山を見たのは12月17日、日軍の南京

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