若いころは、「偽善」がどうにも許せなかった。赤い羽根はつけたためしがなかったし、どこかのテレビ局がやっているチャリティーのための24時間テレビも見なかった。視聴率稼ぎのために芸能人が100キロも走って(歩いて)何の役に立つのかと。 ▼記者稼業をやるようになってから、たとえ「偽善」であったとしても、何もしないよりよほどましなことに遅まきながら気付いた。一人一人の募金額はわずかでも塵(ちり)も積もれば山となるし、第一、喜んでいる人が数多くいる。 ▼残念ながら、東京都が失業者らの年越しのため宿泊場所と食事を提供した「公設派遣村」は、偽善の域にも達しなかった。入所者833人のうち、就労相談をした人は1割にも満たず、あげくは「希望者全員のホテルを用意しろ」と騒ぐ者もいたという。 ▼衣食足りて礼節を知る、とはよくいったもの。職もカネもなければ、人の心はささくれ立つ。それはわかっていても「ごね得」という