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thought_experimentとwebに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • コピペの「作法」 - H-Yamaguchi.net

    レポートの採点などをしていると、いわゆる「コピペ」に気づくことがある。いうまでもないが、一般的に大学教育の場でのレポートにおけるコピペは一種の不正行為とされている、いわばご法度の行為だ。よって来なら減点なり失格なりといった対応をするわけだが、対応をするからにはきちんと証拠を押さえていないといけないから、そこまでの確証がない場合は、多少疑わしくても見逃す場合がけっこうある。世の中にはレポートや論文のコピペ、剽窃チェックのためのツールはすでに存在している(これとかこれとか)から、それらを使うという手もあるが、教育という場にこういったものを入れるべきなのかどうか、議論があるところだろう。 しかしここで論じたいのは、コピペの是非そのものではない。あくまで個人としての意見だが、コピペするにも「作法」みたいなものがあるんじゃないだろうか、という点についてだ。 職業柄あまりこういうことを書くのはどうか

    コピペの「作法」 - H-Yamaguchi.net
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2011/08/08
    なんとなく同意はできる。余談だがいまどきの大学などでのレポート提出という課題はどの程度の範囲で電子媒体での提出が許されてるんだろうか?
  • ソーシャルネットが僕らから奪った大切なもの:"エリック松永の道場破り":オルタナティブ・ブログ

    mixi、Facebook、twiterと、インターネットの世界が一般的になって、皆が情報を発信し始めました。一億総情報発信時代です。情報を得ることがメインだった世界から情報を提供する事に人々の関心がシフトしている。 今までは、情報発信は、注目をあびる一部の人の特権。情報を提供するには、それなりの内容、面白さ、意義、信頼性が必要でしたが、今は違います。誰でもが情報を発信する。発信したもの勝ち。精度より更新頻度が重要だったりする。 だから、 “情報ゴミの山“(宇宙ゴミのように、どんどん増えていっている) で、肝心な必要な情報は昔より得にくくなっています。 プライベートのものだった日記も、ブログという形になり、外が読む日記になってしまいました。それは、同じ日記でも全く意味が異なるものです。今までの日記は、自分自身の心の中を書き綴ることによって、気持ちを整理したり、当の自分を見つめなおしたりす

    ソーシャルネットが僕らから奪った大切なもの:"エリック松永の道場破り":オルタナティブ・ブログ
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2011/07/12
    タイトルにSNSとあるがもうすこし広範囲の話と取れたのでwebのタグをつけておく。
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