40歳当時の糸井重里 ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」などのコンテンツを制作、運営する「株式会社ほぼ日にち」をご存じだろうか。代表取締役社長の糸井重里は、50歳になる年にコピーライターから転身して会社を立ち上げ、68歳で株式上場を果たした。 私が初めて彼の名前を知ったのは、1980年、歌謡番組「ザ・ベストテン」だった。沢田研二がパラシュートを背負いながら「TOKIO」を歌っていて、「また阿久悠が奇抜な歌詞を書いたのか」と思って見ていると、「作詞:糸井重里」というテロップが出て誰だろうと興味を惹かれた。 その後も彼は、コピーライターという枠にとどまらず、エッセイスト、タレント、作詞家として幅広く活躍している。『日本経済新聞』(2019年1月5日)の「スキルアップ塾」でのインタビューによると、広告の仕事に限界を感じた40代の頃、仕事をせずに年間140日ほど釣りばかりしていた2年間があったとい