ジェームズこと鐘文略(チョン・マンロ)が中国から香港にやってきたのは1947年のことだった。 ジェームズは煙草をふかしながら、目を丸くしてこのイギリス植民地の絶え間ない人の往来に見入っていた。 湾仔(ワンチャイ)の自宅では毎朝、市場で値切る人々の騒がしい声が遠くから聞こえてきた。外では、ボタンダウンシャツを着た急ぎ足の行商人が天秤棒を担ぎ、かごを揺らしながら食料を運んでいた。ときおり粋な若い男が通り過ぎ、英国スーツと磨き上げられた革靴で、道行く人々の視線を集めていた。 すべてが新鮮だった。北角(ノースポイント)にある『唐樓(トンラウ)』は4階建ての低層アパートで、地上階が店舗、その上が居住スペースになっていた。 路面電車が英皇道から徳輔道まで大通りをつないでいた。中環(セントラル)には、アーチ型の窓や重厚な柱が多用されたヴィクトリア朝建築がそびえていた。広東省から出てきた田舎者の青年は、ぼ