誰かの記事をきっかけにして書くのはなんとも受動的で楽だ。でもそれは「自分で考えた結果」を書いているのではなく、「誰かに考えさせられた結果」を書いているだけだ。つまりは思考の主導権を他者に奪われた状態であり、いわば思考の奴隷に堕してしまっている。自分なりの答えを出したところで、その思考の土台となるムードを他者からもらっていて思考の農奴みたいなもんで、やっぱり奴隷だ。 この僕がいつまでも奴隷でいるのか? それは愚問に違いない。 というわけで今日もヒャッハー! 奴隷記事だぜ! 僕は街頭募金が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで 読んだ。 この記事の細かい内容に絡んだことは書かないので、今回は要約もいらないだろう。僕はただ、「街頭募金が嫌いだ」ということを言いたいだけだ。 なぜ街頭募金が嫌いなのかというと、大して効果がないからだ。そして正確にいえば街頭募金というアイディアが嫌いだ。 (誰かを救うた