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ブックマーク / web-ken.hatenablog.com (2)

  • ムードの奴隷になっちゃ駄目だ - CGMプランナーの思考

    誰かの記事をきっかけにして書くのはなんとも受動的で楽だ。でもそれは「自分で考えた結果」を書いているのではなく、「誰かに考えさせられた結果」を書いているだけだ。つまりは思考の主導権を他者に奪われた状態であり、いわば思考の奴隷に堕してしまっている。自分なりの答えを出したところで、その思考の土台となるムードを他者からもらっていて思考の農奴みたいなもんで、やっぱり奴隷だ。 この僕がいつまでも奴隷でいるのか? それは愚問に違いない。 というわけで今日もヒャッハー! 奴隷記事だぜ! 僕は街頭募金が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで 読んだ。 この記事の細かい内容に絡んだことは書かないので、今回は要約もいらないだろう。僕はただ、「街頭募金が嫌いだ」ということを言いたいだけだ。 なぜ街頭募金が嫌いなのかというと、大して効果がないからだ。そして正確にいえば街頭募金というアイディアが嫌いだ。 (誰かを救うた

    ムードの奴隷になっちゃ駄目だ - CGMプランナーの思考
    kenzy_n
    kenzy_n 2013/11/20
    雰囲気という奴
  • どんな話にもオチを付ける方法 - CGMプランナーの思考

    おちが付けられない。 - よしだのブログ 読んだ。 内容を要約するとこんな感じだ。 ・話にオチを付けるのが苦手 ・オチっていうのは一番伝えたい内容のことではないか? ・即興小説トレーニングやりたい!うわぁぁめっちゃやりたい!超やりたい!誰か助けてくれ!やりたすぎて死んでしまう! もしかしたら少し解釈にズレがあるかもしれないが、シンプルな内容だし、だいたいあってるはずだ。 まず言っておくが、オチがオチであるかどうかに内容なんて関係のないことだ。オチは別に結論である必要はないからだ。なんだってオチとして採用すればオチであり、オチはあくまでポーズなのだ。読者が「終わりなんだな」と思ってくれればなんでもいい。 だから例えばウンコの話を書き連ねた最後にいきなりこんな文を加えてシュールに終わらせてもいい。 そんなことを考えていたら、ひやりとした夜風が頬をなでた。今年の冬は冷えそうだ。 もしくは、 なん

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