<body background="_themes/canvas/cnvbkgnd.jpg" bgcolor="#FFFFFF" text="#000000" link="#0066CC" vlink="#006666" alink="#996699"><!--mstheme--><font face="MS Pゴシック"> <p>このページにはフレームが使用されていますが、お使いのブラウザではサポートされていません。</p> <!--mstheme--></font></body>
うす曇りのちうす晴れ。3℃〜5℃と終日低温に張り付く。残雪汚し。 仏教には「無記」の教えというのがありまふ。これは形而上学的(抽象的)な問いに対しては判断を示さず、徒に無駄な論争を避けて、現実の苦しみを和らげるという仏道の実践に専念しようというものです。判断留保する形而上の問いとは、・この世界は生滅変化せず,永遠に存在するのか?・この世界は有限か無限か?・霊魂と肉体は同一か別か?・死後の世界はあるのか?・如来(神様)の死後の実在?など。 「判断」というのは、それにより曖昧な世界を白か黒かに収斂させ、思考停止を招くのだ、という見方もありまふ。基本的に良く分かっていない(あるいは原理的に分からない)ものごとを想像であれこれ言い合っても無理無駄であるということでしょうか。勿論「判断」というものがとても大切な事柄もありまふ。判断対象がそのどちら(無記か要判断か)に属するのかという判断がまず最初に必
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