2024年1月19日のブックマーク (5件)

  • 「ChatGPTを駆使した」芥川賞作品を読む “ポリコレ的にOKな表現”が支配する未来とは

    2024年の芥川賞を受賞した『東京都同情塔』(九段理江著/新潮社)は、「一部がChatGPTなどの生成AIで書かれた」という話題が一人歩きしている。作品を読む前に、「芥川賞作『ChatGPTなど駆使』『5%は生成AIの文章そのまま』 九段理江さん『東京都同情塔』」という見出しで記事を書いた筆者にもその責任の一端はあると反省している。 その後、作品を買って読み、「なんだこれは」と圧倒された。読む前にイメージしていたのは「一部の表現を実験的にAIに任せてみた小説」だったが、そんな生やさしいものではなかった。 舞台は2026年ごろ。ChatGPTのような「文章構築AI」を使うことが、スマホで検索するように当たり前になったごく近い未来だ。その時、社会は、人間は、どう変わり得るかが、ベタベタとした手触りで生々しく描かれている。 それはいかにも「ありそうな」未来なのだが、なんとも言えない気持ち悪さを覚

    「ChatGPTを駆使した」芥川賞作品を読む “ポリコレ的にOKな表現”が支配する未来とは
    keshimini
    keshimini 2024/01/19
  • 万城目学氏、直木賞を受賞する - この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ

    昨年、十二月二十一日のことである。 森見登美彦氏は、万城目学氏と、ヨーロッパ企画の上田誠氏との忘年会に参加した。年末の京都に清らかなおっさんたちが集う忘年会も、すでに六回目を数える。 「六回目といえば」 ということで、万城目氏が新作『八月の御所グラウンド』で六回目の直木賞候補になっているという話になった。 しかし万城目氏の顔つきは暗かった。 「どうせあかんねん」 「待ち会はしないんですか?」 「そんなもんせえへんわ。いつもどおりにしてる」 それはいかん、と登美彦氏は思った。度重なる落選にウンザリする気持ちはよく分かるが、直木賞はようするに「お祭り」なのであって、盛りあがらなければ損である。「待ち会」は落ちてからが番なのだ。落選したってええじゃないか! 「何をいじけてるんです。待ち会やりましょう!」 「なんでやねん!」 「やるなら東京まで行きますって」 「あ、それなら僕も行きます」と上田氏

    万城目学氏、直木賞を受賞する - この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
    keshimini
    keshimini 2024/01/19
  • 東京西側の鉄道網って南北の連絡が悪すぎるよな

    タケダ1967 @takeda1967 面白いね>RT いっつも思うんだけど東京西側の鉄道網って南北の連絡が悪過ぎるよな。JR中央線と西武新宿線と西武池袋線って距離は近いのに文化圏が全然違うんだよ。なんか並走してて交わらないの。ここ縦に地下鉄とか通らないのかな。 pic.twitter.com/nCFsWnczHw 2024-01-17 08:46:11

    東京西側の鉄道網って南北の連絡が悪すぎるよな
    keshimini
    keshimini 2024/01/19
    バスは不便なので自転車でカバーしていました。二路線分くらいなら意外といける。
  • 「このくらいの差別はしょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はド..

    「このくらいの差別はしょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はドン引きするわ。 引用されてるXで書かれてる「私の知ってる大家さんたちは……年金生活者もいます。そんな人に差別はイカンっつって……退去とかのリスクを負えとか言えないんですよね」というのは肌感覚としてわかるし、このくらいの差別はしょうがないと思う(たとえば、英語わからんジジババだけでやってる地元民向けの堂が外国人お断りでもしょうがないでしょ)。 ただ、それは差別だし、来は良くないことですよ、っていうコンセンサスがないのはヤバいだろ。 人ひとり雇うかどうかですげえ苦労してる個人商店が「辞められたら困るから女性は雇わない」というのは仕方ない面もあるけど、これは差別だよね? 来よくないけど、個人商店の店主にそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、女はすぐ辞めるからそういう扱いを受けても当然なんだ!」とか言

    「このくらいの差別はしょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はド..
    keshimini
    keshimini 2024/01/19
    それに対して選択の自由は認められるべきではないという主張なら良いが、選択の自由を認めているのに差別と騒ぐのは、俺はどうかと思う。罪悪感の植え付け合いは不毛だよ。認められているなら思い悩まぬ方が健全。
  • どこからが差別でどこまでは差別じゃないのか(ホームステイについて)

    最近増田に上がってきているホームステイ関連の話題( anond:20240116194927 anond:20240118190334 等)を見て、何が差別で何が差別じゃないのか分からなくなってきた。 今まで漠然と差別には憤ってきたんだけど、この話題で差別だと言われたり差別じゃないと言われたりしているのを見て良く分からなくなってきた。 日人男性が選択的に忌避されたり、その理由として(恐らく日人男性全員が当て嵌まるわけではない)人格否定的な事が言われているのを見て、 確かに差別かもしれないと思う自分もいれば、そういう人もいるのでは?と思う自分も居るし、統計的差別ってやつでは?とか、 あと、他の属性に対して、例えば日人女性とか、他の国の女性とか、黒人男性とか、イスラム圏の男性とかに同じような論評や忌避があった場合、差別と感じるのではないか?とか、 それなのに日人男性の場合だけ差別じゃな

    どこからが差別でどこまでは差別じゃないのか(ホームステイについて)
    keshimini
    keshimini 2024/01/19
    選択の自由がある物事で属性を理由に選別する時、「自由が認められているのだから差別ではない(不当な選別のみ差別という)派」と「自由は認められるがそれは差別と自覚すべき派」がいて差別の定義がガバってる印象。