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考察とアニメに関するkettleのブックマーク (3)

  • 「おもひでぽろぽろ」みんな同じだったねと安心するレトロブームを批判している - エキサイトニュース

    テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の放送が始まって今年で25年が経った(厳密にいえば1992年にはいったんシリーズは終了し、95年に放送が再開されて現在まで続いている)。ときは平成初め、バブルの末期、原作者のさくらももこの小学生時代の思い出にもとづくこのアニメは大ブームを巻き起こした。 「ちびまる子ちゃん」の作中の時代は、さくらももこが小学3年生だった1974年という設定になっている。テレビアニメ開始時点でいえば、たかだか16年前にすぎない。それにもかかわらず、当時25歳の女性マンガ家の描くその世界観は幅広い世代のノスタルジーを喚起した。 ひるがえっていま、仮に1990年生まれの作家が、自分の小学校3年生当時の1999年頃を舞台に作品を描いたとして、「ちびまる子ちゃん」ほどに広く共感を呼ぶことができるだろうか? そう考えるとやや疑問を抱く。

    「おもひでぽろぽろ」みんな同じだったねと安心するレトロブームを批判している - エキサイトニュース
  • 彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog

    (※長めの追記をしました) 『借りぐらしのアリエッティ』のDVDを借りてきて見ていた時のこと。 室内の描写が凝っている。その部屋の中に登場人物が入ってきたところで、覚えのある違和感が。写実的な背景と、非写実的な人物が、不釣り合いに感じる。まるできっちり作られた三次元の舞台に、二次元の人間がいるみたい。 背景と人物の描写のレベルが明らかに違う点については、前から多少気になっていた。 背景の描写が陰影も含めて細かくリアルに描き込まれているのに、そこに登場する人物はベタ塗りでペラッとしていて所謂アニメ絵。ジブリに限らず日のアニメの「美術」は、背景画だけで展覧会が開催されるほどのレベルに至っていたりするので、結果、人物とのギャップが生まれ易くなる。*1 ヨーロッパのアニメは例えばチェコ・アニメにしても、背景と人物とのテイストや描写レベルの落差がなく、概ね全体的な統一が図られているという印象がある

    彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog
  • まる子のおばあちゃんは、ホントに影が薄いか (2007年7月12日) - エキサイトニュース

    『サザエさん』の波平も、『ちびまる子ちゃん』の友蔵も、じいさんたちは何かとキャラが立っている。 対して、フネさん、まる子のおばあちゃんの影の薄いことといったら。 思えば、自分なんかは、まる子のおばあちゃんの名前すら知らないという体たらくだ(当は「こたけ」というらしい)。 でも、フネさんの場合、よく見ると、物静かながら、波平はフネさんに常に頭が上がらないようだし、影で磯野家の実権を握っているのは、このフネさんだと思われる場面も多い。 では、「影が薄い」「目立たない」とされる、まる子のおばあちゃんにだって、当はけっこうやり手な部分があるんじゃないだろうか。 というわけで、原作から、まる子のおばあちゃんの意外な素顔を探ってみた。 実際、友蔵が初めて登場するのは、第1巻第1話と、のっけからであるのに対し、おばあちゃんの初登場は、第1巻第6話と、遅れ気味だ。 しかも、初めてのセリフが、後ろ頭での

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