合気道なり柔術なりに対して、「何故掴ませた状態から始めるのですか?」という疑問が寄せられる事がありますね。その理由は、大きく分けて、二つあります。 一つは、「実際の状況の想定」です。もし掴まれたらどうするか、という観点です。よく護身術で、つかまれた時にはこう対処しましょう、というのがありますが、そういう場合ですね。批判者は、ここを捉えて、「現実に掴まれる事なんて無い」、と言う訳ですが、これは、半分正解(実際に掴んでくる人は、そうはいない)、半分誤り(そういう状況になった場合の手段としては、確かに役に立つ)です。 もう一つは、「身体の操作法を学習する」という意味です。「掴ませて、身動きが取れない状態から動く」、という課目を設定する事によって、「正しい身体の使い方(身体がゆるんで、揺動支点優位の動き)が出来なければ動けない」という状況に置かれる訳です(緊条件型。課目を遂行するには、課題が達成さ
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