上の記事のタイトルは最初「日本のカミ」にするつもりだったんだけど、横道にそれて聖徳太子について書いたので変更した。今日書こうとしていたのはそれではなくて、日本の神について。神というのは自然のことであり、自然の力から受ける害を避け、利益を得ようとして、人は神を祀った。怨霊についても同じ。 怨霊というものが人に災いをもたらすものなら、鎮魂するのではなく、怨霊の存在そのものを消し去ればよい。祭祀するにはコストがかかるのだから、そのほうが経済的だ。なぜそうしなかったのか?理由のひとつは上手くやれば利益が出るからだと思う。だけど、それ以前に、そもそも消去不可能であるからであろう。 と思うんだけど、実はそこのところが俺には良くわからない。神が自然のことだとすれば、たとえば、沼の神様は沼が埋め立てられたらどうなるんだろうとか、動物の神様はその動物が絶滅したらどうなるんだろうとか考えると、もしかして神も消