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2008年10月1日のブックマーク (4件)

  • 2008-10-01

    ⇒asahi.com:麻生首相、「大東亜戦争」と表現 戦争観問われ - 政治 「大東亜戦争」は当時の政府が決めた正式呼称だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁止。教科書では「太平洋戦争」「第2次世界大戦」の呼び名が一般的になっている。 教科書的に言えばそうなるのかもしれない。だが現実はどうだったのか? 「単一民族」と同様に ⇒国会会議録検索システム で「大東亜戦争」を検索。検索件数1193件。会議に絞ると153件。 これを見ると、ある時期を境にして「大東亜戦争」という表現が問題視され始めたことがわかる。 ある時期とは、昭和57年12月。 昭和57年12月09日 不破哲三(共産) 大東亜戦争という名称自体、戦犯東條内閣が真珠湾攻撃の四日後に、日を盟主とする大東亜新秩序建設を目的とする戦争という意味で命名したものであります。 昭和57年12月10日 下田京子(共産) あ

    2008-10-01
    keya1984
    keya1984 2008/10/01
    『「大東亜戦争」という表現はいつから「失言」になったのか?』
  • 寝言@時の最果て: アジアの民主主義の運命

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  • 2008-09-30

    9月28日,日学術会議・自然人類学分科会の主催による公開シンポジウムが郷の東大キャンパスで開かれたので参加してきた.日学術会議とは「日学術会議は,科学が文化国家の基礎であるという確信の下,行政,産業及び国民生活に科学を反映,浸透させることを目的として,昭和24年(1949年)1月,内閣総理大臣の所轄の下,政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立され,職務は,科学に関する重要事項を審議し,その実現を図ること,科学に関する研究の連絡を図り,その能率を向上させること.役割は,主に I 政策提言,科学に関する審議, II 科学者コミュニティーの連携, III 科学に関する国際交流, IV 社会とのコミュニケーション」ということだそうだ.(同会ホームページより(一部省略))目的と職務と役割の微妙な違いとか何となく気になるところだが,このような公開シンポジウムはまさに趣旨にかなってい

    2008-09-30
  • http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040619.htm